研究室配属の思い出
もくじ
くじ引きで研究室配属が決まる
僕が所属していた専攻では、卒論研究を行う研究室はくじ引き、修論研究の研究室は院試の成績で決まることになっていた。
卒論とはいえ、本格的なテーマで研究をするのが慣例になっている。卒論発表を聞いていると、時々「○○で世界記録更新」や「○○という系で初観測」のような、「世界初」の結果が飛び出してくる。
僕自身、卒論研究で学術誌論文へ投稿できるような研究を行っていた。
アメリカの学会誌に出版された一本目の論文のデータの一部は、学部生時代の卒論研究の過程で得られたものだ。
そういうこともあり、卒論研究での研究室配属決めは、多くの学生にとって一大イベントだ。
4月の前半に、各研究室が学部4年生向けの見学会を企画する。理研など、外部に研究室を持っているところはそちらを公開することもある。
見学会で研究環境を見たり、先生や学生の話を聞いて、それぞれ希望配属先を固める。
そして、4月の下旬にくじ引き大会が行われる。
くじ引き大会では、決められた日時に専攻内の4年生が一つの教室に集められる。
みんな緊張でそわそわしている。
「俺、○○研行こうかな」などと揺さぶりをかけてくる人もいる。心理戦だ。
そして、学科長の合図のもと、それぞれが希望する研究室に名前を書きに行く。
定員より多くの希望者がいるのを見て、そこまで人気が集中していない研究室に名前を書き換える人もいる。
そうした駆け引きを経て、定員より多いところでくじ引きが行われる。
くじ引きでは、箱から数字の書かれたボールを取り出し、より大きい数字(小さい数字)を引いた人が内定を勝ち取る、という簡単なものだ(大きいか小さいかは、学科長の気分で決まる)。
みんなが見ている前でくじ引きをする。みんな相応の気合いで臨むため、結果が出た際には思わず悲鳴や歓声を上げる。
それに合わせて聴衆が一緒に(意味なく)歓声を上げたり、研究室から迎えに来た院生たちや、そもそも全然違う学科の人たちが、一緒になって後ろでワーワー騒いでいる。何の祭りだ。
見る分には楽しいかもしれない。しかし、第一志望への思い入れが強ければ強いほど、当事者にとってこのイベントは胃痛ものである。
第一志望で決めたい切実な理由
さて、くじ引きに通らなかった人たちを対象に、第二志望を宣言する時間が与えられる。
第二志望とは言っても、人気どころの研究室はおろか、ほとんどの研究室で定員が埋まっていることが多い。したがって、志望というよりも、「残った枠の中でどこを選ぶか」という後ろ向きな消去法的選択と言った方がいい。
第一志望に通らなかった人の多くが絶望の表情を浮かべているのは、ただ通らなかったからではない。
柏に行きたくないからである。
学部生が配属される研究室は本郷、駒場(生産研)、柏の葉の3つのキャンパスから成る。
ほとんどが本郷の研究室だが、全体の2~3割程度の学生は柏の葉キャンパスの研究室へ配属となる。
そして、柏の研究室は柏にあるというだけの理由で恐ろしく人気がない。見学会で先生方や学生がいくら研究の面白さや、研究環境の良さをアピールしても、学生は柏へ行きたくないのだ。
誤解を防ぐために付け加えると、何も柏の葉キャンパスが劣悪な環境だからとか、そういう理由で人気がないわけではない。むしろ、研究環境は本郷や駒場より遥かに優れている。
研究所は広々としていて、実験室も居室も広く、振動が少ないから繊細な装置でも使用が可能だ(本郷は都心にあり、地下鉄も多く通っているため、精度が必要な装置は理研で使用されることが多い)。
人も車も多くなく、緑があってのびのびとしている。都心の喧騒から離れて研究に打ち込むには、この上ない環境だ。
何故柏を希望する学生がこれほどまでに少ないのか。実のところ、僕にもよくわからない。
僕自身は、本郷キャンパスの研究室に埼玉の実家から通っている。柏の葉キャンパスだと通学時間が1時間半になり、20分くらい長くなってしまうため、本郷を第一志望としていた。
しかし、後にも書くけれど、柏になったらそれはそれでいいと思っていた。本郷より通うのは大変だけれど、通勤ラッシュの時間帯に1時間40分以上かけて通学した高校時代を思えば大した問題ではない。
一人暮らしなら、家賃など考えると柏の方が住みやすいくらいかもしれない。駅前にショッピングモールがあるし、生活に不自由することはないと思う。
強いて言えば、友達が都内にいる場合、会いに行くのが億劫になる(つくばエクスプレスは交通費が高いのであまり頻繁に使いたくない)。
あとは、都会に慣れてしまうと、人が少ないので寂しいと感じるかもしれない。
さて、そんなこんなで柏の研究室を初めから希望するのはせいぜい2, 3人である。
第一志望の研究室を宣言する(黒板に名前を書く)際、必ずしも全員が「本当の第一志望」を宣言しているわけではない。
何故なら、くじ引きに敗れた場合は高確率で柏へ行くこととなってしまうので、そのようなリスクを取るくらいなら、「すごく人気があって競争率の高い第一志望」より「競争率がそこまでではない第二志望」を選ぶ方がいいと考える人が出てくるからだ。
そのような駆け引きがあるため、本郷の研究室にはほとんど空席ができない。
したがって、本郷(+駒場)の研究室を志望する人から10人強はくじ引きに敗れて柏へ行くこととなる。
くじ引きに敗れた友人が取った、意外な決断
僕自身については、くじ引きに関してそこまで面白いエピソードは特にない。
特に心理戦もせず、第一志望に名前を書き、くじ引きで運よく3分の2を引き当てることができた。
ここからは、とある友人のエピソードを紹介しようと思う。
その友人とは、学部3年次後期に実験ペアだったこともあって仲良くなった。
3年生では、本郷・柏の研究室で実験をする実習がある。
柏での実験を経て、彼は「環境は良さそうだけど、家(神奈川)から遠いし、量子コンピュータに興味があるからさすがにないかな」と言っていた。
量子コンピュータを初めとした、量子情報分野を扱う研究室は本郷・駒場(・理研)に限られる。
学部4年生を受け入れる柏の研究室はいずれも、物性物理分野(主に固体内部で生じる特異な物理現象を研究する)の研究室だ。
4年生になり、くじ引き大会の当日。たまたま講義で会い、そのまま一緒に昼食を摂った。
自然と、研究室配属についての話題になった。
僕は初めから物性物理に興味があったので、彼と希望が被ることはないと思っていた。そのため、特に心理戦とかは気にせず、第一志望を教えた。
加えて、くじ引きに通らなかったら柏になるけれど、その中だったらこの研究室へ行きたい、という話もした。
その研究室は柏に移ったばかりだったが、研究内容及び先生の人柄に惹かれて、そこにしようと考えていた。
毎年、学部4年生向けに、柏の研究室見学ツアーが開催される。当日は午後からの開催だったが、先生方に個人的にアポを取って、午前にお話を伺っていた。第一志望に通らなかった場合を見越して、あらかじめ第二志望をきちんと固めておいた。
そんなわけで「この先生、すごく人柄が良くて、熱心にお話していただけてよかった」という話を友人にしたら、「そうなんだ」というリアクションだった。
そして、友人にどこに出すのか聞いてみると、「やっぱり古澤研かな。でも第二志望は考えてないわ。」とのことだった。
古澤明教授は、光量子コンピュータの世界的権威であり、メディアへの露出や著書などの影響で知名度が高い。古澤研究室には、毎年のように志望が殺到する。
量子情報分野の研究室は3つ(合計で8人程度しか受け入れられない)であるのに対し、この分野を志望する学生は20人近くいると思われる。
くじ引きの前には駆け引きを経て光学の研究室へ志望を変える人も現れるが、それでも量子情報分野の競争率が最も高い。なかでも古澤研は、知名度の意味でもトップクラスに人気がある。
いよいよくじ引き大会。
古澤研は定員4人に対して7人志望となった。そこに、例の友人の名前もあった。
7分の4。決して低い確率ではない。
しかし、勝者がいれば敗者もいる。彼は、古澤研への切符を勝ち取ることができなかった。
彼は、苦笑いを浮かべていた。
くじ引きに敗れた人達の第二ラウンドが始まった。
本郷の研究室はわずかに空席が残っていた。一つは物性、もう一つは光学。
量子情報分野を志望していた人の志望は案の定、光学の研究室の残り人枠に集中した。
物性を志望している人は、観念して柏の研究室を選ぶ人も出てきた。
第二志望を考えていなかった彼も、本郷にある光学の研究室へ志望を出すものと思って、僕は成り行きを見守っていた。
しかし、彼は何を思ったか、僕が第二志望にしようと思っていた研究室に志望を出したのである。
その研究室は柏へ移ってきたばかりであり、装置の立ち上げなど、学生の仕事量が多く大変になることが予想されていた。そのため、柏の研究室の中でも、その研究室は一人しか志望者がいなかった(その人は第一志望で出していたので既に内定していた)。
残っていたもう一つの枠には彼以外に志望者がいなかったため、そのまま内定となった。
量子情報に興味があって物性を選ぶつもりはなく、第二志望も特に考えていなかった彼が、あまり人気のないその研究室を選んだ。
くじ引き大会が終わったあと、どうしてその研究室にしたのか聞いてみた。すると、「わからない。勘、かな」と言っていた。
直感というのは思いの外、認知の歪みに影響されている。
明らかに、僕が昼食時に彼にその先生の話をしたことが影響している。そうとしか思えなかった。
僕個人の意見でしかない話をして、彼自身の選択に干渉してしまったのではないかという後ろめたさを感じた。
いつの間にか楽しくなっていた
前期はまだ講義があったので、時々会うこともあった。
彼は、院試で本郷へ戻るつもりだと言っていた。実際、過去問も解いていた。
しかし結局、彼は柏の院試を受験し、そのまま同じ研究室へ進学した。
一旦柏に配属されると、そこから本郷の院試を受けるのには心理的なハードルが生じる。口述試験のノウハウがなくて不利であるほか、本郷の院試は競争が厳しく、志望した研究室に入れる保証がないからだ。それよりは、ある程度勝手がわかっている今の研究室にとどまった方がいい。そう考える人は少なくない。
彼も、そのように考えて柏に留まることにしたのだろう、僕はそう考えていた。
卒業式、久々に会う機会があった。
研究の具合はどうか聞いてみると、「すごくいい先生だし、研究も面白いし、毎日楽しいよ」と言っていた。
「それはよかった」と返した。
けれど、本音では半信半疑だった。その研究室を(半ば)勧めた(?)自分に気を遣っているのかもしれないと思った。
でも、それ以上余計な詮索はしなかった。
それから半年経って、学科の友人と何人かで飲み会をした。
その際、何気なく例の友人にも声をかけてみたところ、柏からはるばる本郷まで来てくれた。
最近どうかと聞いてみると、彼は開口一番、
「朝から晩まで研究漬けだけど、こんなに楽しくなるとは思わなかった。リーディングも通ったから博士まで行くよ」
と言った。
リーディングというのは、博士課程進学を確約することで、修士1年の秋から毎月20万円の奨学金をもらえる大学の教育プログラムである。修士卒で就職する道を絶つ代わりに、他の学生と比べて金銭面で大きな恩恵を享受できる。
M1春の段階で、少しでも修士卒就職を考えている人はリーディングは出さない。僕も出さなかった。
もともと量子コンピュータの研究をしたいと語っていた彼が、あろうことか全く異なる分野で博士号を取りに行く道を選んだのである。
彼の「研究が楽しい」という言葉は本物だった。
「もう、量子コンピュータに興味はないの?」質問せずにはいられなかった。
「そうだね。今やっていることが面白いから、量子情報にはもう興味なくなっちゃったんだよね。」
思いもよらなかったことにハマることもある
彼のように、もともと興味のなかった分野で、研究を始めてみたらいつの間にかハマってしまったという人もいれば、
一方で、激戦を勝ち上がって第一志望へ進学したにも関わらず、「思っていたのと違う」と感じて研究に打ち込めない人もある。
研究を始めてみないとわからないことも多い。だから、よく後輩たちには、
「この研究室に入れなかったらどうしよう、なんて考える必要はない」
「第一志望に通ればそれで幸せ、とは限らない」
という話をする。上記のエピソードを話しつつ。
何が楽しいかわからないなら、何を基準に決めればいいのだ、
と思われるかもしれない。
それは純粋に、「面白そう」と思ったところを選べばいいと思う。
ただ、その後、自分の希望通りになろうとなかろうと、研究を楽しめるかどうかは本人の心持ち次第で決まる。
第一志望に入れたからといって、「面白いものは周りの環境が与えてくれる」と考えて「待ち」に徹するのではなく、
希望通りの場所に入れなかったからと言って、「周りの環境のせいで、面白くない」と考えて「待ち」に徹するのではなく、
「いま置かれた環境で、最大限面白いと思えることをやる方法は何だろう?」と前向きに、主体的に考える姿勢が大切なのだと思う。
まあ、僕のように、たまたま第一志望を引き続けた人間が言っても説得力はないのだけれど。。。
大学院入試のサバイバル
はじめに
「東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない」(ときど 著、PHP新書)を読んだ。
著者の「ときど」さん(本名は谷口 一さん)は、東大工学部マテリアル工学科を卒業、同大学院修士課程を中退し、格闘ゲームのプロとして活躍している異色の「東大卒プロゲーマー」である。
「ときど」さんがプロゲーマーになった当時は、プロゲーマーという職業がほとんど存在していなかった。
この著書では、「どうして、どのような経緯でプロゲーマーになったのか」という視点から、「ときど」さんの半生がつづられている。
著書の要旨は、副題にもあるように、「論理は最終的には情熱にかなわない」ということだと思う。
勝つために徹底的に合理的な手法を取り続けてきた「ときど」さんは、やがて「合理の壁」にぶつかる。
そして、純粋に「楽しい」と思えること、「勝つ」という結果に至るプロセスを楽しむ情熱こそが、さらに強くなるために最も大切なことだと気付いた。
この著書では、そういったことを主張されているのだと感じた。
院試制度に研究の道を絶たれる
さて、ここからが本題。
博士課程の学生である僕にとって、著書のなかで最も印象に残ったのは「大学院入試での挫折」というところである。
これがなければ、「ときど」さんは研究者になったかもしれないからだ。
「ときど」さんは、学部4年で配属された研究室のポスドク研究員に感化され、情熱的に研究に取り組んだ。
それまで、浪人中でさえも続けてきたゲームを一切やめ、朝から晩まで研究に打ち込んだ。
情熱は実を結び、ゼミで発表した内容で国際学会でも賞を受賞し、成果はのちに論文となってまとめられた。そのうち一本はNature姉妹誌に掲載された。
学部時代の研究成果でこれだけの実績を挙げるのは尋常ではない。順当に歩めば、「ときど」さんはアカデミアで活躍していた可能性もあっただろうし、本人もそのような将来を少なからず考えていたはずだ。
ところが、現実はいつもうまくいくものではない。
「ときど」さんは大学院入試での競争に敗れ、学部時代に所属していた研究室に残ることはできなかった。
新たに配属された研究室では、研究内容にどうしても関心が持てず、院に入ってからも修士研究そっちのけで学部時代の研究に取り組んでいた。
結局、院を中退し、一時は公務員を目指したが、最終的には「理屈」よりも「情熱」を優先し、プロゲーマーとして個人で生きていく道を選んだ。
大学院入試の理不尽なところ
院試は競争である以上、恨みごとを言っても始まらないのかもしれない。
しかし、「ときど」さんが感じた大学院入試制度の理不尽さに、毎年それなりに多くの学生が翻弄されていることも事実である。
ここで言う、大学院入試制度における理不尽な点とは、合否判定そのものというよりも、その後に決まる研究室配属のしくみである。
院試では、各専攻ごとに定員が決まっていて、まずはその人数に合わせて合格者を決める。その後、院試の成績と受験者の希望配属先(願書に書く)に合わせて配属先が決まる。
「ときど」さんが直面した理不尽さは次の二つである。
- ペーパーテストの得点で配属が決まること
- 配属の繰り上げがないこと
ペーパーテストの得点で配属が決まる
院試では、1次試験としてペーパーテスト、2次試験として面接を課すことが多い。
しかし、実質的にはペーパーテストでほとんど結果が決まっていて、面接では進学の意志を確認する程度のものだと言われている(本当のことはわからない。専攻によっては口述試験を重視している場合もあるので、院試を受ける人はきちんと情報を集めてから受験した方がいいと思う)。
つまり、ペーパーテストでいい点数を取れた人が、希望通りの研究室へ配属されることになる。
人気の研究室でも配属できる学生数は2, 3人である。研究室によってはここに20人以上の希望が押し寄せることもあり、その中で勝ち上がった数人だけがその研究室で研究できる。
この過程では、「研究遂行能力」は一切考慮されない。
僕が考える研究遂行能力には、
- 研究テーマの本質をつかんで重要なところに注力する能力
- みずから課題を発見し、主体的に解決に取り組む能力
- 計画的に研究を進めていく能力
- 粘り強く研究に取り組む能力
- 上司や同僚と積極的に議論し、課題解決方法を素早く見つける能力
などが含まれる。これらはいずれも、決められた時間内に試験問題を解かせるだけで測れるとは到底思えない。
学部生の段階で研究の能力を測ることは難しいかもしれない。しかし、「ときど」さんのような素晴らしい研究成果を挙げている人であっても、研究能力に対する加点が一切ない現行システムはいかがなものか。
配属に空席ができても繰り上がらない
院試のもう一つの理不尽な点が、「配属には繰り上げが存在しない」ということだ。
院試は、複数の研究科、複数の大学院を併願することが可能である。例えば、僕がいま所属している理学系研究科は、僕が修士号を取った工学系研究科とは試験日程が重なっていない 。
「ときど」さんが望んだ研究室に合格した二人のうち、一人は東大の合格を蹴って京大の院へ進学した。こういう人も珍しいわけではない。
その際、その研究室に空いた人枠は空席となる。補欠という制度はないから、「ときど」さんがその空いた枠に繰り上がるということはなかった。
僕自身も修士時代、研究室に同期がいなかった。
もう一人、理学部の学生が合格していたが、その人は理学系へ進学した。
学部時代の研究室同期は第二希望の研究室へ配属された。
「空席があるのにそこへ上がらせてもらえない」という事実に、何とも言えない後味の悪さが残った。
制度がそう簡単に変わらない理由
現行の制度に疑問は持っているが、これらの制度を変えることは簡単ではないのかもしれない。
ペーパーテストで評価するというのは、大学入試と同様、きわめて客観的で平等な選抜方法である。
ペーパーテストの能力がある程度「優秀さ」を反映するとする考え方もある(僕は懐疑的だけど。少なくとも研究については)。
理論の研究室などでは、そういった能力がものを言うのかもしれない。
また、繰り上げを認めてしまうと、配属を改めてやり直さないといけなくなるという問題がある。
先ほど話に出た、僕の同期が繰り上がることができたとしよう。
すると、彼が配属されるはずだった研究室に空席ができ、そこを志望していたのに行けなかった人がまた繰り上がる。
これを繰り返していくと、結局配属を初めから組み直さないといけなくなる。
手続き上どれくらい大変なことなのかはわからないけれど、これ以外に繰り上げを認めない理由が思いつかない。
僕が修士時代に所属していた物理工学専攻では、合格を蹴る人が大量に現れ、制度の変更が行われた。
しかしそれは「繰り上げの認定」ではなく、単なる「合格者数の増加」というものだった。
僕が修士の院試を受けた年、58人合格者のうち進学したのは39人だった。なんと、3分の1の人が合格を蹴ったのである。
さらには内部受験者(工学部物理工学科)のうち、2割もの人が不合格となった。
蹴った人のほとんどは理学系研究科物理学専攻(僕がいま所属しているところ)へ進学したと思われる。彼らは理学部物理学科の学生で、そちらを第一志望として受験していたのだ。
その翌年も、同じようなことが起こった。特に理論系の研究室を中心に空席が多発し、教授たちもいよいよ我慢の限界になった。さらに次の年は、合格者数を従来より20人増やしたところ、ちょうど定員と同じくらいの進学者に収まったということである。
しかし、この制度の変更では、「研究室に空席が出る」という問題は解決しない。
何かいい方法はないか?
これらの制度に対して、僕なりの代替案を考えてみた。
ペーパーテストの結果で配属が決まる制度への代替案
僕はペーパーテストをなくしてほしいと思っているわけではない。
記念受験みたいな人も結構いるので、ペーパーテストで先に合否を分けてしまうことについては賛成だ。
これに加えて、研究室配属を決めるために次のようなやり方を取ることを提案する。
申請書を提出させる
出願の段階で、軽めの学振の申請書のようなものを提出してもらう。
具体的には、配属された研究室で取り組む卒業研究について、研究計画や予想されるインパクトについてA4用紙2枚くらいで記述してもらう。
自己PRも1枚くらい書いてもらうといいかもしれない。
これによって、研究にどの程度見通しを持って主体的に取り組んでいるか評価する。
リーディング大学院などもこのような形で選抜を行っているのだから、そこまで無理のあるものでもないだろう。
このやり方の問題点は、申請書を審査するのに時間がかかること、その気になれば本人以外が書くこともできてしまう(例えば、後輩を進学させようと先輩学生が代わりに書いてしまう)、などがあげられる。
口述試験で卒論テーマについて発表してもらう
申請書ではなく、直接プレゼンしてもらい、教授たちがこれを評価する。
物理工学専攻ではこのやり方を取っていて、画期的だと思う。
問題点は、審査する教授の仕事が増えることだ。
また、発表のイメージがつきにくい外部受験生にとっては不利に働きやすい(もともと院試なんていうものは内部生が有利なのだけど)。
冬に口述試験を行い、卒業論文について発表してもらう
上記の2つのやり方では研究計画に対する評価を重視するものだった。
一方で、よりシビアに研究遂行能力を評価する方法として、卒業論文の審査を口述試験とするやり方が考えられる。
実際、修士から博士へ上がる場合の試験は、修論審査を博士の進学試験としているところがほとんどであると思う。
このやり方の問題点は、外部から受験する人が卒論審査を二回やらないといけなくなることだ(自分の大学で学位を取るための審査と、院試の口述試験としての審査)。配属の決定に時間がかかるので、併願している学生は併願先に迷惑がかかるということもある。
配属の繰り上げがないことへの代替案
こちらについては本当になんとかしてほしいと思っている。
併願している人が含まれる場合、多めに配属させる
配属人数が2人であれば、その二人のうち片方でも併願者がいれば3人合格させる。もしその人が蹴れば2人になるし、3人でもなんとか指導できるはずだ(実際、成績上位一割の人は3人配属できるというルールで3人配属されるケースはある。また、配属先の教員が研究室ごと他大学へ異動になると、好きな研究室へ配属先を選べるというルールがあり、これによって3人配属となるケースもある)。
したがって、蹴られそうなら多めに取っておき、蹴られなかったらそれはそれでOKとするというやり方が成立する。
ちなみに、物理工学専攻は去年このやり方を取って、それなりにうまくまとまったと聞いている。今年はどうなったか知らない。
併願者の進学の意志を確認してから配属を確定する
上記のやり方で問題ないケースもあるが、
「3人とも蹴ってしまった」
「3人の研究室が増えすぎてしまう」
という問題も起こりうる。
そこで、もっと根本的な方法としては、「仮配属先」というやり方をとるものである。
まず、今まで通り合格者に配属先を割り振り、本人に伝える。ただし、これはあくまで仮のものである。
つぎに、併願者の意志を確認する。
他と併願している人に進学先を書類か何かで提出してもらう(もちろん、併願先にも)。
その書類で、合格を蹴る人が明らかになる。これを元に、配属先を再度組み直す。
そして、最後に確定した配属先を改めて進学希望者に伝える。
このやり方の問題点は、手続きが面倒になることだ。
しかし、これで熱意をもって研究に取り組む学生が一人でも多くなり、日本の学術界にプラスの影響があるのだから、どうか職員の方には頑張って対応していただきたい。
おわりに
いろいろ書いてきたけれど、正直、実際に制度が変わることにはあまり期待していない。
これから院試を受けることになる人が、自分の進路について少しでも考えるきっかけになればうれしい。
オンライン学会は画期的
今週、4日間にわたって、応用物理学会の秋季学術講演会が開催された。
全ての発表はZoomを利用して行われた。
社会情勢を鑑み、やむを得ずオンライン学会になったわけだが、
いざ参加してみて、
「とても画期的」
だと感じた。
もはや、
学会は今後もずっとオンラインでよいのではないか
とさえ思ってしまったほどだ。
もくじ
オンライン学会の形式
今回僕が参加した応用物理学会は、以下のような形で行われた。
- 口頭発表のみ(ポスター発表なし)
- Zoomウェビナーを利用
- 発表者のPC画面を共有
- 発表者のカメラ映像が共有画面の上に小さく表示(カメラをオフにすることもできる)
- 質問はチャットに書き込まれたものを座長が読み上げる
大学のオンライン授業と大体同じようなものである。
オンライン学会の画期的な点
オンライン学会は、「好きなときに」「どこからでも」聴講することが可能である。
したがって、従来のオンサイト型学会と比較して、極めて生産性が高いと言える。
具体的には、次のような利点がある。
- より多くの学生が参加できる
- 忙しい教授や助教も参加しやすい
- 発表の合間を無駄にすることがなくなる
- 口頭発表の準備が楽になる(英語講演の場合)
より多くの学生が参加できる
本来、学会に参加するためには開催地へ移動し、場合によっては会場の近くに宿泊する必要がある。
そして、それには当然お金がかかる。
そのお金は出張費として研究室から拠出される(学振特別研究員は自分の科研費を使える)。
したがって、学会に参加したいなら、何かしら発表をする必要がある。
ところが、みんながみんな学会で発表できるだけの成果を出せているとは限らない。
そのため、学会に参加したくてもできないという学生がいるはずだ。
そうした学生も、オンライン学会なら参加できる。
オンラインなので出張費は一切かからない。
応用物理学会に至っては、聴講のみなら学生は参加費無料だったので、文字通り一銭もかけずに発表を聞くことができる。
したがって、従来の学会より多くの学生が参加できる。
忙しい教授や助教も参加しやすい
日々の業務に忙殺されている教授や助教も参加しやすい。
従来、学会に参加するために新幹線や飛行機で移動して、場合によっては前泊して、といった手間をかけてまで学会に参加するのは大変だ。
招待講演をするために遠距離移動して、でも次の日は別の用事があるからその日中に帰る、というようなこともある。
しかし、オンラインなら家からでも講演ができ、発表もピンポイントで気になるものだけ聴くことが可能だ。
したがって、忙しくてなかなか学会に参加できずにいた教授や助教にとっても、オンライン学会なら気軽に参加できる。
実際、こうした利点によって、今年の応用物理学会秋季学術講演会では、秋季としては史上最高となる8000人以上の参加があったようだ。
発表の合間を無駄にすることがなくなる
さらには、発表の合間の時間を無駄にすることがなくなるという利点がある。
口頭発表は普通、1人15分単位で連続して行われる。
その際、例えば、
「今聴いている講演の30分後に聴きたい講演がある」
「間にある2つの発表はあまり面白くなさそう」
というような場合は、
- ぼんやりとそれらの発表を聞く
- 内職をする
- 部屋から出て、広間などで作業をする
といった対応が考えられる。
当然、ぼんやりと聞いているだけでは時間の無駄だ。
かといって、堂々と内職するのも気が引ける。
作業するのにいちいち移動するのも面倒である。
ところが、オンライン学会であれば家や職場から聴いているのだから、何ら困ることはない。
さっさと画面を閉じて作業に移り、次に聴きたいときにまた戻ってくればいいだけだ。
したがって、学会を漫然と聞くことがなくなり、あらかじめ聴くと決めておいた発表以外の時間はいつも通りに仕事ができる。
なんなら、発表の合間に実験をすることもできるかもしれない。
あるいは、同じ日程で開催されている別の学会を聴くこともできる(日本物理学会は同日程だった)。これもオンラインならでは、である。
口頭発表の準備が楽になる(英語講演の場合)
口頭発表ではスライドを作るだけでなく、実際に発表するための練習をしなければならない。
原稿を覚えてすらすら話せるようになるまで何度も反復する必要がある。
(日本語発表なら原稿なしでも問題ないかもしれない)
原稿を見てはいけないというルールはないが、あまりにも堂々と原稿を見ているとみっともないし、興ざめだ。
実際に、原稿を確認しながら発表している人もいるものの、そうした発表はたどたどしくなるため、聴衆がすぐに興味を失う。
賞を狙うなら、プレゼンの技術に加え、聴衆を惹きつける発表をする必要がある。すらすら話せることは大前提だ。
一方、オンラインであればその必要はなくなる。
原稿を見ながら発表していても何ら差支えない。練習は原稿を数回音読しておくだけでよくなる。
人にもよるが、この「原稿を覚える」という作業がなくなるだけでかなりの時間と労力の節約になる。
オンサイト学会にあってオンライン学会にないもの
このように、オンライン学会は画期的なものである一方で、現地開催の学会にも価値がある。僕の考えられる範囲では、
- ポスター発表での議論
- 同じ分野の研究者とのコネクションづくり
- 日本や海外の様々な地域に行ける
というようなものがあげられる。
ポスター発表での議論
今回行われたオンライン学会にはポスター発表がなかった。
口頭講演だと質疑応答の時間は短く、オンラインだと発表後個人的に質問しに行くことができない。
一方で、ポスター発表ではある程度時間を気にせずディスカッションができる。
データを見せながら議論できるので生産性も高い。
「口頭講演するほどではないけれど、学会には出してもいいと思える結果がある」
「口頭講演の準備が面倒」
といった場合にポスター発表をチョイスする人がいる(修士課程の人に多い)。
そうした人は質問への受け答えもマニュアル的だ。
「聞かれたことに答えるだけ」というスタンスで、つつがなく発表を終わらせてしまいたい、という意識が垣間見える。
しかし本来、ポスター発表は
「まだ不完全だけれど発表して、いろいろな人の見解を伺いたい」
というようなモチベーションで行われるものだと思う。
実際、意欲的な学生やアカデミアに腰を据えている人に質問すると、答えに加えて「実はここはわかっていない」「こういう風に考えている」「こういうところは面白いのではないか」というような話をしてくれる。
そこからさらに質問したり、こちらの見解を述べたりすると議論が深まって面白い。
自分の意見が相手の研究を進めるきっかけになることがあるし、こちらもそうした議論から新しく研究テーマを見つけられるというようなこともある。
これは、オンライン学会にはない利点だと思う。
同じ分野の研究者とのコネクションづくり
アカデミアに進みたいと考えている学生にとっては、学会でコネクションを作るというのは非常に重要となる。
各大学の教授クラスの人たちにも顔を売り、実績をアピールしておくことで、後々ポスドクとして受け入れてもらえたり、助教として呼んでもらえることがある。
いわばアカデミアにおける「就活」である。
特に、日本の大学院で博士号を取ったあと、海外学振を利用して海外でポスドクとして研究したいと考えている人にとっては、国際学会でいかに海外の先生方と仲良くなっておくかが重要となる。
おそらく、今年開催される国際学会はすべてオンラインとなったはずだ。
これから海外へ出て研究しようと思っている人にとってはかなりの向かい風である。
また、そうした学生のみならず、既にアカデミアに所属している人にも学会でのコネクションづくりは重要となる。
仲良くなることで共同研究へ発展し、そこから新たな発見や研究の進展が生まれうるからだ。
日本や世界の様々な地域へ行ける
「遠距離移動しなくていい」
「宿泊しなくていい」
といったオンライン学会のメリットは、同時にデメリットとなりうる。
学会開催地へ行くことは一種の旅行のようなものであり、それをモチベーションに学会へ参加する研究者も少なからずいるからだ。
もちろん、出張費の財源は元をたどれば税金である以上、ただ旅行のように楽しむ(たとえば発表を聞かないであちこち遊びまわる)ようなことはあってはならない。
学会に積極的に参加するのは当然の義務だ。
しかし、学会のプログラムが終わった夕方以降、ご当地の美味しい食事を味わったり、近場に出かけることはできる。
去年秋の応用物理学会は北海道大学の札幌キャンパスで行われた。札幌には美味しい食べ物がたくさんある。僕は現地でスープカレーを3回食べたのに加え、ジンギスカン、札幌ラーメンといったご当地グルメを堪能した(海鮮が好きだったらもっと楽しめたと思う)。
同じようなことを考えていた人は結構いたらしく、発表者数は秋季としては史上最高、教室には人が入りきらず立ち見している人もいた。
みんな札幌に行きたかったのだ。
国際学会であれば、日頃は飛行機代が高くてなかなか行けない海外へ行くこともできる。
国際学会は国内学会よりも査読のハードルが高いことが多いものの、海外へ行けることをモチベーションにして研究を頑張れるという側面もある。
まとめ:結局どっちがいいのか
オンライン、オンサイトそれぞれの良さを書いてきた。
社会情勢が落ち着いたら、またすべての学会をもとのオンサイト形式に戻そうということになると思う。
しかし、オンライン学会には、社会情勢とは無関係に大きな利点がある。
だから、僕としてはオンライン学会も続いてほしいと思う。具体的には、
オンラインの回とオンサイトの回をつくる
というハイブリット型になってくれるとうれしい。
もしかしたら、オンサイトでなければならない事情があるのかもしれないけれど。。。
研究と競技を両立するための3つの鉄則【その3】タスクは可能な限り前倒しして終わらせる
↓ はじめにお読みください
- この記事で言いたいこと
- スポーツで結果を出すのに最も大切なこと
- 院生が競技からフェードアウトしてしまうまでの流れ
- 人はやるべきことを先延ばしにしてしまう
- 終わらせるのに必要な仕事量の見通しは甘くなりやすい
- どうすれば先延ばしにせずにすむか
- タスクを前倒しで終わらせる
- 最後に:僕が研究室の先輩から学んだこと
この記事で言いたいこと
ここでは、
「タスクを終わらせるのに必要な仕事量の見積もりは甘くなりやすい」
「タスクには可能な限り早く取りかかり、できるだけ前倒しで終わらせるべきだ」
という話をする。
スポーツで結果を出すのに最も大切なこと
陸上競技において、あるいは他のスポーツの多くにおいて、結果を出すのに最も大切なことは何だろうか。
「結果を出す」という表現は曖昧だが、ひとまずそこには目を瞑って考えてみてほしい。
いろいろな意見があると思うが、僕は「長期にわたって継続した取り組み」が最も重要だと考えている。
幼少期から人並み外れた努力を継続して偉業を成し遂げたアスリートたちの例は枚挙にいとまがない。メジャーリーグで活躍したイチロー選手は、小学校時代の手記で「365日中360日以上は野球の練習をしている」と書いていたそうだ。
世界のトップを目指すというわけでなく、自己ベスト更新という身の丈に合った(?)目標を達成するうえでも、長期的に継続していくことは重要となる。
陸上の長距離では、故障によって数週間、数か月にわたって走ることができなくなると、そのブランクを取り戻すには倍以上の時間がかかることが多い。
逆に、コツコツと練習を長期にわたって続け、故障しないようケアや食生活、睡眠を大事にしていれば、特別なことをしなくても実力は少しずつ伸びていく。
僕自身、院生になってからの2年強の間、1週間以上走れないような故障はなく、練習が長期にわたって途切れることがなかった。ポイント練習が週1回やそれ以下になることはあっても、10km前後のジョグは必ず続けていた。
また、研究で徹夜することも、睡眠不足の日が何週間も続くようなこともなかった。7~8時間の睡眠は確保していた。
その結果、研究で忙しい中でも自己ベストを更新することができた。
学部生時代でも、自己ベストが大きく伸びたときは必ず、それまでに質の良い練習を3~4か月以上継続できていて、ケアや睡眠など生活もきちんとしていた。
しかし、故障で数か月以上走れなくなることも毎年のようにあって、復帰までの道のりはいつも険しく厳しかった。
院生が競技からフェードアウトしてしまうまでの流れ
もし院生になってから故障していたら、いま僕は競技をやめてしまっているかもしれない。
何故なら、一度ブランクができてしまうと、それを取り返すのは精神的にかなりしんどいからだ。
学部生のときは、それでも時間があったために、頑張ってリハビリトレーニングもしたし、気持ちが疲れたらゆっくり休むこともできた。
しかし、院生になってしまうと、常に研究へ脳のリソースを割かなければならない。
そのため、いつ故障が再発するともしれない恐怖と闘いながら、徐々に復帰していくだけの活力を保つのは容易ではない。
院生が競技をやめてしまうのは、上記のような「一度ブランクができてしまってからそのままフェードアウトしてしまう」パターンであることが多い。
院生は年に何度か、「極めて忙しい時期」を乗り越えなければならない。具体的には、
- 学会予稿締め切りの直前期
- 学会発表の直前期
- 学位論文締め切りの直前期
などがある。
こうした時期は、普段よりもはるかに忙しくなるために、陸上の練習や睡眠はおろそかになりやすい。すると、故障しているわけでもないのに、「数週間走っていない」かつ「寝不足で疲労困憊」な状態が出来上がる。
ブランクができてしまったので、走って体力を戻そうとする。しかし、体力は当然のように落ちているので、取り戻すまでの道のりを果てしなく感じてしまう。「極めて忙しい時期」を乗り越えたからと言って、暇になったというわけでもない。したがって、どうしても走るのが億劫になってしまう。
そうしていると、競技への復帰がどんどん難しくなっていってしまう。そうやって、いつの間にかフェードアウトしてしまうのである。
人はやるべきことを先延ばしにしてしまう
したがって、競技に継続的に取り組むためには、この「極めて忙しい時期」によってブランクを作らないことが肝要になる。
とは言っても、「極めて忙しい時期」だけ生産性をいつもの5倍にする、などというようなことは難しい。したがって、「極めて忙しい時期」に忙しさを集中させず、忙しさを分散させて物事を計画的に進めていく必要がある。
しかし、それは容易なことではない。
何故なら、僕らは誰しも、締め切りぎりぎりにならないとスイッチが入らない「ぎりぎり症候群」あるいは「先延ばし症候群」を抱えているからだ。
ティム・アーバンはTEDトーク「先延ばし魔の頭の中はどうなっているか」で、人がどのように物事を先延ばしにするのか、ユーモアたっぷりに説明している。
「先延ばし症候群」は、人類が理性的な存在でありながら、同時に動物としての本能も持ち合わせていることに由来する。
物事を先延ばしにするのは非合理的だが、「いまが一番大事」とする動物的本能に負けてそうしてしまうのだ。
終わらせるのに必要な仕事量の見通しは甘くなりやすい
先延ばしにしてしまうのは、「今が一番大事」な動物的本能のためであると説明した。
そして、締め切りが近づくと、ティム・アーバンのプレゼンに登場した「パニック・モンスター」が現れる。恐れをなしてサル(=動物的本能を象徴)は身を隠し、脳の舵を人(=理性の象徴)が取れるようになる。こうしてようやく物事に取り掛かる。
パニック・モンスターが現れるのは、「やばい!」と感じたときである。そして、僕の考えでは、そのように「やばい!」と感じるのは「物事に取り掛かって少し経ったとき」である。
締め切りが近づくと、心のどこかで「そろそろ取り掛からないと…」という気持ちが膨れ上がっていく。それが臨界点を超えると、「やばいかも」と感じて、とりあえず取り組み始める。
学会予稿なら数行、学位論文なら1,2ページ書いたくらいのところで、これまで漠然としていた「終わらせるのに必要な作業量」が、はっきりとした輪郭を持って見え始める。
何故なら、少しでも終わらせると、「これくらいの量を終わらせるのにこれくらいの時間がかかるから、全部を終わらせるにはこれくらいの時間がかかる」と、具体的に必要な工程を計算できるようになるからだ。
この状態になって事態の深刻さに初めて気がつき、「やばい!!!」と感じてパニック・モンスターがパニックを起こし、サルが一目散に逃げ出す。
つまり、物事を先延ばしにしてしまうのは、
物事に取り掛かる前の段階では、それを全部終わらせるのに必要な作業量を正確に見積もるのが困難で、たいていの場合はそれを甘く見積もってしまうからだ。
どうすれば先延ばしにせずにすむか
原因さえわかれば対処は可能だ。
物事に取り掛かる前には見積もりが甘くなってしまうのだから、物事に取り掛かるのを可能な限り早くすればいいのだ。
締め切りがわかったら、その段階で少しでもいいから書いてみる。必ずしも一気に全部終わらせなければならない必要はない。
人の脳は不思議で、僕らが意識していなくとも無意識下で様々な情報を処理している。少しでも取り掛かった物事については、無意識の間に脳がその続きをどのように進めるか考えてくれている。すると、また次に取り組むときには、思いの外スムーズに進むようになる。
しかし、締め切り間際に一気に終わらせようとすると、そのメカニズムはうまく機能しない。脳が情報を処理するのには時間が必要だからだ。
タスクを前倒しで終わらせる
このようにして、なるべく早く着手することを習慣にすると、研究の生産性がぐっと上がる。
何故なら、「何となく過ごす時間」が激減するからだ。
少しだけでも取り組んでおくと、いつでも再開できる状況になる。
そうすると、気軽に取り掛かれるから、ちょっとした隙間時間があれば、「2ページだけ書き進めよう」「あの課題を終わらせよう」というような形で有効活用できる。
ゲームで例えるなら、「はじめから」でスタートするときはキャラの設定やら初めのポケモンをどれにするやらで時間がかかるが、「つづきから」で始めるときにはすぐにスタートできるから時間がかからない。ちょっとした時間に「ポケモンのレベル上げしておこう」「トレーナー何人か倒しておこう」とコツコツ進められる。
この積み重ねは想像以上に大きくなる。これを繰り返していくと、だんだん物事を締め切りよりはるか前に終わらせることができるようになる。隙間時間をコツコツと積み立て投資していくことで、時間という資産が少しずつ積み上がっていくようなものだ。
そうなると、「極めて忙しい時期」も同じリズムで生活できる。もちろん、多少締め切りぎりぎりになることがあっても、終わらせるために練習時間や睡眠時間を削って作業時間を捻出しなければならないようなことはなくなってくる。
最後に:僕が研究室の先輩から学んだこと
僕は昔から、どちらかと言えば計画的なタイプだった。夏休みの宿題は遅くとも学校が始まる1週間前には終わらせていたし、高校の林間学校の山登りでは下山するまで飲み水を残していた(そのようにしていたのは僕と僕の友達一人だけだった。その友達は講1から大学受験を意識して勉強しているような人で、成績は学年トップ、あっさり東大東大現役合格を果たしていた)。
それでも、研究というのは僕にとって全く未知なものだっただけに、卒業論文では締め切りに追われた。卒論提出の3日前に実験がようやく終わって、そこから一気に書き上げた。提出は月曜だったが、直前の土日に先輩に来てもらって、「書きながら添削してもらう」という非常識で何とか終わらせた(先輩には本当に頭が上がらない)。
あらかじめ12月からコツコツと書き進めていたが、それでもかなりギリギリになってしまった。
この経験を経て、「もっと長期的見通しを持って、時間を有効活用しよう」と思った。
研究室で僕の面倒を見てくれた、当時博士課程学生の先輩たちから学んだことがある。「やるべきことは、時間に余裕があるうちになるべく早く終わらせよう」ということだ。この記事で説明してきたことである。
研究室1期生の先輩たちは、もともと締め切り前に追い込むタイプだった。ミーティングのスライドは前日の夜中や当日の朝にアップしていた。博士論文を書き上げるというのは相当に大変な仕事であるから、その先輩たちは本当に大変そうだった。
一方で、2期生の先輩たちは、前々から余裕を持って物事を終わらせていくタイプだった。ミーティングのスライドは3日前くらいには出来上がっていて、細かいところを直してアップしたらあとはいつもより早く帰っているくらいだった。論文輪読会などは、発表日程が決まったらすぐにスライドを作り始めていた。予備審査の直前期も国際学会へ参加し、仕事を持ち込まずに学会に専念していた。博士論文も早めに書き終えて、本審査直前もバタバタしている様子はなかった。
先輩たちはみんな、すさまじい実績を残して卒業していったが、その結果に至るまでの過程は異なっていた。そして、研究と競技を両立したい僕にとっては、2期生の先輩たちのようなやり方を徹底的に真似して自分のものにしようと思った。
学会発表のスライドは遅くとも1か月前には作り始めた。ミーティングのスライドは2週間前、論文も書ける段階になったら少しでも早く書き進めた(インターン中も終業後の時間で少しずつ執筆作業を進めた)。修士論文はM2の6月に書き始めた(締め切りは1月下旬)。それでも、提出締め切り当日の朝に少し作業してから昼に出すくらいだったので、見通しは少し甘かったかもしれない。
M2の6月には、9月や11月の学会発表に使うスライドも作り始めていたので、居室にたまたま来ていた教授に「もう学会のスライド作っているんですか!前代未聞だ!」と褒め(?)られた。裏を返せば、「余裕があるときに遠い先のことを少しでも進める」というやり方は、そこまで浸透していないのかもしれない。
生産性を上げるためには、時間を常に有効活用する意識を持とう。
そのために、少しでも早く物事に取り掛かろう。
研究と競技を両立するための3つの鉄則【その2】論文は必要に迫られてから読む
↓はじめにお読みください
この記事で言いたいこと
ここでは、
「論文は必要に迫られてから読む」
「論文は必ずしも全部読まないで、必要に応じて情報を拾っていく」
という話をする。
生産性を上げるためには、論文を効率良く読むべき
院生の研究における主な業務をリストアップしてみると
- 実験
- 勉強・調査(論文や教科書を読む)
- 資料作成(スライド・報告書作成)
- メール返信
- ミーティング(出席、発表)
- 論文輪読会
- 論文執筆(学位論文含む)
ということになる。
研究に投入する時間を抑えるにあたって、これらの業務のうちどれを減らしていくかを考える必要がある。
まず、実験については、作業量を減らすことは難しい。ある程度試行錯誤しないと思うような結果は出ないし、結果が出るかは運にも左右される。作業時間を効率化する努力は必要だが、あまり焦って作業すると、かえって遠回りになることもある(僕は焦って実験したせいで装置に不具合を生じさせてしまい、時間をロスしたことがある)。
資料作成やメール返信といったデスクワークについては、単純に処理速度を上げることが考えられる。ブラインドタイピングを習得すれば文章はかなり速く書けるようになるし、メールについては定型文をユーザー辞書登録すれば素早く書けるようになる。
それから、ミーティングや論文輪読会については、研究室として時間が決められているものなので、削ることは難しい。発表するとなれば準備の時間も必要だが、これも処理速度を上げるくらいしか削る手段がない。
論文執筆についても、学位論文は分量が多いので、シンプルに書くスピードをあげることが一番良い方法だ。
したがって、生産性を上げるために抑えるべき時間は、勉強・調査にかける時間、もっと言えば論文を読む時間なのである。
論文を読む時間を抑えるシンプルな方法
さて、いきなり結論から入ろう。論文を読む時間を抑える方法、それは
「論文は必要に迫られてから一気に読む」
というものだ。
論文を読むという作業は、大変な集中力を要する。ぼーっと読んでいたらいつの間にかウトウト…なんてことも起きかねない。
一方で、必要に迫られてから論文を読むと、脳の情報吸収スピードは普段の何倍にもなる。私たちの脳は、必要だと感じた情報や知識はどんどん習得できるようになっている(その逆もまたしかり)。
外国の空港で物乞いをする子供たちが自然と何か国語も身に着けるのは、彼らが生きていくためにはあらゆる言語で旅行客に物乞いをする必要があるからだ。一方、英語を話さなくても何不自由なく生きていける日本人は、いくら頑張って英会話学校へ通っても、英語が流暢に話せるようには時間がかかる。
なお、必要に迫られてから一気に学習することについては、「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか」(中島聡著、文響社)の中で「飛行機を崖から飛び降りながら組み立てる」という言葉で表現されている。
さて、必要に迫られてから、ということだが、そもそも論文を読む必要とは何なのか。これを理解するために、まずは論文を読む目的を考えてみる。
論文は何のために読むのか
研究を進める上で、論文を読むのは必須だ。
論文を読む目的は、大きく分けて
- 情報収集
- 論理構成の学習
の二つになる。
情報収集
一般に、論文は次のような構成からなっている。
- 要旨 Abstract
- 導入 Introduction
- 実験手法 Method
- 結果 Result
- 議論 Discussion
- 結論 Conclusion
そして、導入から議論までの過程で適宜、本文に合わせて図(Figure)が掲載されている。図の多くは概念図(研究の概要を視覚化したもの)と実験結果(議論に用いるシミュレーションの結果も掲載されることがある)である。
基本的に、次のような動機で論文を読むことが多い。
- 最新の研究動向を知りたい・研究テーマを考えたい
- 実験に用いる手法や測定条件について知りたい
- 研究の背景を知りたい
論理構成の学習
論文を構成する上記のような要素について、それぞれをどのような論理展開でつなぐか、もっと言えば一つの研究成果という「物語」をどのように展開していくかは、論文を読むことで初めて学ぶことができる。
作家は、先人たちの本を読んで学び、実際に書く経験を積むことにて少しずつうまく書けるようになる。それと同じで、研究者も先人たちの論文を読むことで、論文の書き方を学んでいくのである。
また、論理構成を学ぶと、今度はそのフレームワークに沿って、「○○を示すには△△というデータも必要になる」「××というデータがあれば、□□という方向へ議論を展開できる」というように、実験で必要なデータを逆算して考えることも可能になる。
以上のような目的を踏まえると、論文を読む必要性は
- 研究テーマを理解する(自分が何を研究するのか)
- 実験をする(どんな測定をするべきか)
- 論文を書く(研究の背景は何か、論理構成はどうするか)
といった場面で現れる。その都度、必要な知識や考え方を学ぶために読むようにすればいい。
論文は全文読まなくていい
ここまでの話を踏まえた上で、一つ守ってほしいことがある。
それは、
「基本的に、論文を全文読むことはしない」
ということである。
論文を読んでその内容を理解するというのは、本来相当な時間や労力を要するものだ。論文輪読会で発表したことがある人はそれがわかると思う。
僕の分野の場合、1本の論文は3000~5000語くらい(4~6ページくらい)で、30~50本くらいの論文が引用文献となっていることが多い。
したがって、読んで理解して、引用されている文献をこまめにチェックし、それを自分の言葉で説明できるくらいに理解するためにはかなりの時間がかかる。初めて論文輪読会で発表したときには、その準備だけで2週間を費やしてしまったことを覚えている。
学位論文を書くためにも論文は相当数引用する必要がある。僕の場合、卒論では40本以上、修論では100本以上引用した。これを全部丁寧に読んで実験もして論文も書いているようでは、時間がいくらあっても足りない。
どのように読めばいいのか
論文を全文読まないなら、どのように読むべきなのか。
答えはシンプルで、「必要な情報がある場所だけ読む」だけだ。
読む場所を決めるには、その論文を何のために読むのかはっきりさせればよい。
論文を読むそれぞれの動機に対して、次のように読む場所を分解する。
- 最新の研究動向を知りたい・研究テーマを考えたい → Abstract, Conclusion, Figure
- 実験に用いる手法や測定条件について知りたい → Method
- 研究の背景を知りたい → Introduction
ResultとDiscussionは、「データから結論までを示す道のり」である。もし、データが掲載されているFigureを見てすぐに「そういうことか」とわかれば、いちいち読む必要もなくなる。
また、実験をする上で、先行研究ではどんな測定条件かを調べる上ではMethodだけ見ればいい。
論文の導入部を書くためには、自分の研究がどのような背景から行われたものなのか、時間的経緯に沿って説明できるようになる必要がある。その場合には、先行研究のIntroductionパートを見れば、それが良くまとまっていることが多い。
精読も必要
かといって、全ての論文を飛ばし読みしていいわけではない。論文を書くためには、論文を数多く読んで書き方を学んでいく必要があるからだ。
「自分は修士論文しか書かないから関係ない」と思う方もいるかもしれない。
実際、学位論文の形態は、一般的な科学誌、論文誌とは大きく異なる。前者は日本語でよいことが多く、研究の背景や手法も詳細に書き尽くす必要があるため、分量が多くなる(数十~数百ページ)。一方で、後者は英語で書くことが多く、要点に絞り、重要でないところは省いて数ページにまとめる必要がある。修士論文の書き方は、先輩のものを見て学んだ方がいい。
しかし、そのような人にとっても、英語論文を精読する必要がある。それはなぜか。
「学位論文審査で必要となるから」である。
研究について発表する場合、論文と同じようにストーリーをきちんと作る必要がある。発表時間は限られているから、自分の研究の中から重要なところを抽出してまとめなければならない。さらに、自分と異なる専門の教授にもわかるような説明が求められる。
これを学ぶ上で、精読は重要になってくる。
精読する論文を厳選する
ところが、精読には時間がかかる。競技で忙しい人は、手当たり次第に精読することなど到底できない。
したがって、精読する論文を厳選する必要がある。
具体的には、自分の研究に大きく関連している、被引用数の多い論文を中心に読むべきである。
被引用数とは、他の論文に引用された回数のことである。これが多いほど、その分野の多くの研究に示唆や手法を与えているということになる。したがって、自分の研究を理解し、説明するうえで必要な知識がきちんとまとまっていることが多い。
また、ストーリーを学ぶ上でそのような論文は有用になりうる。何故なら、被引用数の多い論文は、インパクトファクターの大きな権威ある雑誌に掲載されていることが多いからだ(論文のインパクトファクターは被引用数の平均値で決まる)。こうした雑誌では査読が厳しく、そのためにきちんとした議論がなされていることが多い。
(査読:論文で発表される成果がその雑誌に掲載するにふさわしいものであるかどうかを、学者たちが読んで審査すること)
何を読むべきかわからなかったら、助教や先輩に聞いてみるといい。
精読のタイミング
論文は、「必要に迫られたら読む」という話をした。それでは、精読が「必要に迫られるとき」とはいつだろうか。
基本的には、「何らかの発表をするとき」ということになる。
最も身近なのは論文輪読会で発表するときだ。このタイミングで、発表する論文と、その論文に大きな影響を与えている論文を数本、じっくり読んでみる。
あるいは、学会発表をする機会があれば、その構成を考えるときに精読を取り入れてみる。すると、自分の研究がどんな立ち位置にあって、どんなストーリーにすると同じ分野の人へ研究の意義を伝えられるかを理解しやすい。
なお、学位論文審査に精読が必要とは書いたが、審査の直前に精読をするのは時間的に相当厳しい。実験が終わり、学位論文を書きながら並行して精読を行うのがいい。これをやると、緒言を書くのに役立つ。
精読で気をつけるべきこと
ダラダラ読んでいては時間の浪費になる。ただ読むだけでは内容は頭に入ってこない。
能動的に読むために、手を動かして読むといい。段落ごとに要点をまとめてみたり、わからないところに疑問点を書いてみたり、ノートに内容をまとめながら書いてもいい(ただし、まとめノートをきれいに作る必要はない。既に一度精読して理解した論文であれば、必要な情報はすぐに本文から見つけ出せるようになるはずだ)。
読み方についてはいろいろ試して、自分に一番合うやり方を見つけてほしい。
参考書籍として、「『読む力』と『地頭力』がいっきに身につく 東大読書」(西岡壱誠著、東洋経済新報社)を挙げておく。本を能動的に読む方法が書かれているが、この方法は論文にもある程度有用である。
まとめ
- 論文は必要に迫られたら読む
- 必要な場所を抽出して読んでいく
- 精読する論文を厳選して読む
これが身につけば、何も理解しないままダラダラと論文を眺めて時間を浪費することもなくなるはずだ。
研究と競技を両立するための3つの鉄則【その1】自分の研究のロードマップを作る
↓ はじめにお読みください
この記事で言いたいこと
この記事の前半で言いたいことは、
「自分の研究の主導権を握ろう」(受け身でいては研究が進まず、時間を有効活用できない)
「研究ロードマップを作成し、見通しを持つと効率良く進められる」
ということである。
後半では、研究ロードマップの作り方について説明する。
自分の研究の見通しを持つ
研究を効率よく進めていくための大前提として、まず知っておいてほしいことがある。それは、
「教授は忙しすぎて、懇切丁寧に指導してはくれない」
ということである。
教授は忙しい
教授(准教授の場合もある)は研究室のボスであり、会社で言えばCEOだ。
実際にはサービスや製品を作って売るのは社員だが、会社としての大きな指針を決めるのはCEOの仕事である。同様に、実験をしてそれをまとめるのは院生(やスタッフ)だが、研究室としての大枠を決めるのは教授である。
したがって、研究室でどんな研究をするかを決めるのは全面的にボスの意志に従うことになる。研究室へ配属されてすぐ、あるいは一つの研究テーマが一段落したとき、教授から新たな研究テーマが与えられる。
ところが、教授は忙しすぎてそれぞれの研究テーマの具体的な部分を考える余裕がない。
教授は、大学から降り続ける雑務、講義の準備、度重なる教授会をこなしながら、同時に研究室を経営していかなければならない。日本の大学教授は研究ではなく、大学での雑務や講義の対価として給料をもらっているからだ。
したがって、研究テーマの大枠だけ学生に与え、どんな実験をすべきか、実験はどのようにやるのか、何をいつまでにどこまで進めればいいのか、といったところは助教や博士の学生に丸投げ、ということが多い。
助教や先輩も忙しい
ところが、あなたを指導してくれる助教や先輩も忙しい。質問に対して答えることや、装置の使い方を教えることはしてくれるが、あなたの研究について主体的に考える余裕はない。
何故なら、彼らもまた、上から降ってくる雑務をこなしたり、研究室運営の仕事をこなしながら、自分自身の研究も行わなければならないからだ。
そのため、配属したてで右も左もわからない、という学生であっても、研究テーマを与えられ、一通り説明を受けた後は、そのまま放置されてしまうということも珍しくない。
これは、助教や先輩に悪気があるからではない。みんな忙しいのだ。
何もしないでいるとどうなるか
したがって、配属したての学生は、助教や先輩から「この論文を読んでおいて」と言われてしばらく放置される。
学生は、言われたからとりあえず一生懸命読む。しかし、ほとんどの内容は理解できない。当然だ。プールで泳いだことのない子どもを海へ突き落すようなものだ。
これは、ある意味「誰もが通る道」だ。だから、助教も先輩も一から丁寧に説明してくれるわけではない。みんな自力で乗り越えてきたらだ。
学生は、論文の読み方どころか、そもそも何のために論文を読むのかもわからないので、ものすごい時間と労力をかけながら、ほとんど何も理解できないまま全体を読み終える。そのまま、引用されている論文や、文中に出てくる言葉を一生懸命調べたりして時間を使う。
しばらくして、「次に何をすればいいですか」と聞いても、忙しいから「○○を勉強しておいて」とあしらわれるかもしれない。助教が声をかけてくれるまでひたすら待たなければならなくなる可能性がある。
場合によっては、実験について手取り足取り教えてもらえる場合もある。しかし、基本的にはAの実験をやり始めたら、その先がどうなっているかなどは特に教えられることなく、ひたすらAの実験を覚える、ということになる。自分の研究のゴールまでの道筋は見えない。
つまり、自分の研究は自分で進めようとする意思がなければ、「教えてくれる人」のペースに合わせて研究を進めることになる。助教が忙しければ次のステップへ進めない。実験のやり方は他の先輩に聞けばわかるかもしれないのに、そもそも何をするのかがはっきりしないので動こうにも動けない。
こうなってしまうと、どうしても生産性を上げるのは難しくなる。上司のペースに合わせようとすると無駄な時間が発生する。
これは、「仕事の主導権が上司にある」状態だ。
わかりにくいのでここで例え話:カレーの作り方を教わる
まったく料理をしたことがない人が、カレーの作り方を指導してもらうとしよう。それも、秘伝のレシピのカレーだ。
秘伝のレシピを知っている先生はまずこう言う。「野菜を洗って切っておいてください。」
とりあえず、言われたようにする。包丁を持ったこともないから、おぼつかない手つきで時間をかけて、やっとのことで野菜を切り終える。
そして、先生に「次にどうしたらいいですか」と聞く。しかし先生は、「忙しいのでちょっと待って」と言われ、そのまま手持ち無沙汰になってしまう。
もしここで、次にやることが「野菜を煮込む」ことだと知っていれば、野菜を煮込む方法について、先生の弟子に聞けば教えてもらって進められる。先生には「次のステップは弟子の○○さんに教えてもらいます」と一言断っておけば問題なかろう。
しかし、果たして次にやることは「野菜を煮込む」ことなのかはその弟子にもわからない。秘伝のレシピは先生しか知らない。もしかしたら煮込む前に何か下ごしらえをする必要があるのかもしれない。
このように、「カレーができるまでの全体像」がはっきり見えていないと、先生だけに教わらなければならなくなる。先生が忙しくなって指導できないと途端にストップしてしまう。これが、「仕事の主導権が上司にある」状態だ。
一方で、レシピの全貌が見えていれば、適宜先生以外の人に聞きながら、スムーズに進められる可能性がある。それだけでなく、次に何をどうすればいいかわかっているから、「今日はここまでやろう」「来週これをやろう」と細かく計画を立てて効率よく進めることができる。「仕事の主導権が自分にある」状態である。
このような状態になって初めて、自分の使える時間を最大限に活用できる。言い換えれば、生産性を高めることができるのである。
※「自分の仕事の主導権を握る」ということについては、マコなり社長の以下の動画を参考にしている(動画では、結果を出していることが前提、という話だが、ゴールを明確にして共有する、という行為は研究を初めてすぐであっても役立つ)。
自分のことは自分で考える
研究の生産性を上げるには、主導権を手に入れなければならない。
あなたの研究はあなた自身が主体的に組み立てる必要があるのだ。
これは、研究者として一人前となる過程では当たり前のことだ。
それなのに、日本的教育のせいか、「自分が何も言わなくても、自分がやるべきことは周りが全部教えてくれる」のが当たり前だと思っている人が結構多い。受け身なのだ。
一方で、意志を持ってアカデミアへ進んだ教授や助教にとっては、「受け身」という概念そのものが理解しがたいものである場合が多い。「自分が研究したくてこの世界に進んだのだから、自分の研究は自分でどうにかする」のが当たり前だ。
そのような人たちにとって、「何も言われないと何もしない」「自分の頭で考えていない」学生を指導するのは骨が折れる。
よって、指導はどうしても断続的なものになってしまう。自分自身の研究の見通しは持っていると思うが、「受け身」な学生の見通しまで考えたいとは思わないはずだ。
ゆえに、自分の研究テーマの見通しは自分で考える必要がある。
これができれば、「この学生はきちんと自分で考えられる」という信頼が得られる。すると、相談や質問に丁寧に対応してくれるし、研究の進め方や計画に何か問題点があればその都度指摘してくれる。
さらに、やるべきことを計画的に進めていき、適宜実験結果が得られると「意欲的に研究している」と思ってもらえる。さらには、良い結果が出れば当然「結果を出していて素晴らしいからこのまま任せよう」というように思ってもらえる。こうなれば、ほとんど主導権を手に入れたと言ってもいい。
とは言っても、右も左もわからないうちは、自力で全部組み立てるのは大変な作業だ。ピアノを初めて見た人に「バッハを演奏しろ」と言っているようなものである。
ゆえに、まずやるべきことは、
助教や先輩に相談しながら、自分の研究のロードマップを作る
ことだ。
その際、何より気をつけるべきことは、「僕は何もわからないので全部教えてください」という態度で臨むのではなく、「研究のロードマップを作りたいので、具体的にどんなことをするべきか相談に乗っていただけませんか」という姿勢で話を聞くことだ。
研究ロードマップを作ろう
そもそもロードマップとは何かというと、
研究のゴールまでの道筋を構造化・可視化したもの
である。
平たく言えば地図である。地図を持っている人の方が持っていない人よりも目的地へ速く着ける。道に迷うことが減り、自信を持って進めるからだ。
ロードマップの作り方
ロードマップと言っても、そこまで大層なものを作る必要はない。
具体的には、次のようにする。
①研究テーマの「ゴール」を書く
②どのような実験でどのような結果が出ればその「ゴール」にたどり着いたことになるか、「ゴール」の下に書く
③研究テーマの核となる部分をアンダーラインなどで強調する
④仮説を立てる(②で書いた実験で、どんな結果が出るはずか、それによって何が言えるか)
⑤アンダーラインを引いた部分についてそれぞれ調べるべきこと、やるべきことをリストアップし、項目ごとに□や○で囲む
⑥それぞれのやることに順番をつける(番号、矢印)
ロードマップの一例を示す。ここでは見栄えがするようにパワポで作っているが、実際には手書きで十分である。人に見せるものでもないので、自分が読めればそれでいい。
なんらかの固体物質の系において、新奇な物理現象を観測する、というテーマを例に挙げている。
物性物理における研究のモチベーションは、たいてい
- 物質ドリブン(変わった物質、まだ性質が良く知られていない物質)
- 現象ドリブン(新しい物理現象、学術的にインパクトの大きい現象)
のいずれかである。
ここでは現象ドリブンの例を示している。したがって、まだ発見されて日が浅い新奇現象を、これまでに観測されていなかった系で見よう、ということである。
ロードマップの中身
上に示したロードマップのそれぞれの項目について、もう少し具体的に説明する。
研究のゴールを設定する
まずは研究のゴールが見えなければ話にならない。研究テーマを与えられたら、何を明らかにするのが自分の研究であるのかを一言で言い表してみる。
前に言ったことと矛盾するが、この部分は、教授から直接指導をもらうべきところだ。教授も、研究資金を得るために、研究の方向性について大量の書類作成業務をこなしている。配属してすぐの学生でも研究の大枠を理解できるくらいの説明はしてくれるはずだ(もしそうでなければ教授が不親切であるか、あなたが話を真剣に聞けていない)。
仮説を設定する
研究をする上では、仮説を持っているかどうかで進むスピードが段違いに変わる。
「○○をしたら××となるはずだ」という仮説を立てて実験をすることで、必要な作業量が少なくなる。
詳しいことは「仮説思考-BCG流 問題発見・解決の思考法」(内田和成著、東洋経済新報社)あるいは「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」(安宅和人著、英治出版) を参考にしてほしい。
仮説の設定には、研究テーマの本質を理解する必要がある。
ここでは△△現象を指す。
この現象が最初に発見された論文はたいていNatureかScience(生物系ならCell?)に載ることが多い。裏を返せば、その新しい現象がどんなもので、どのような実験をしてどういう結果が出るか、といったエッセンスはすべてその論文に詰まっているわけだ。
したがって、その論文が理解できれば、測定によってどのような結果が期待され、それによって何が言えるか、といった「仮説」にあたる部分はおのずと明らかになる。
そのため、まずやるべきことは、自分の研究テーマにとって最も重要となる論文が何かを助教や先輩に聞くことだ。
※実際には系が異なると微妙に条件や理論の相違が生じる可能性があるため、それによって仮説を多少変更させる必要があるかも検討する(わからなかったら飛ばしてもよい)。
測定の目的と手法を理解する
次に大切なことが、「どうやってこれを示すか?」ということである。
何かを示すにはデータが必要である。そのデータを得るためには測定が必要である。
したがって、測定について理解することは、示す現象そのものを理解するのと同じくらい重要だ。
測定については、
- どんな原理で
- 何を測っていて
- 実際にはどんな風に実験するのか
ということを理解する必要がある。
原理の理解にはレビュー論文や参考となる書籍で勉強できる。これも助教や先輩に良いものを紹介してもらうとよい。
ここで強調しておきたいのは、
実験を理解するための近道は実際の実験現場を見ること(できれば実験させてもらうこと)である
ということだ。
人間は、生活のなかで使う知識はすぐに習得できる。脳は必要だと判断した知識は忘れないようにできている。
したがって、ただ論文や本を読むより、実験をさせてもらった方が手っ取り早い。
先輩の実験の再現実験、測定手法が似た実験、同じ装置を使う測定など、自分の研究テーマでなくとも、実験をする意義は大いにある。測定に関する理解が深まり、実際に自分で研究を進めるときのイメージが湧く。
実験をさせてもらえなくとも、テーマが近い人に頼んで実験を見せてもらおう。
先行研究を分析する
実験のイメージがついたら、自分の研究について改めて分析を行う。
ここでやるべきことは、同様の研究について複数の先行研究論文を比較することである。
調べるべき論文は、初めに読んだ「重要な論文」を引用している論文だ。NatureやScienceに新奇現象が報告されると、同じ現象を異なる系で測定した、という類似の論文が後追いで次々と出てくる。
これらの論文について、使用している系の共通点は何か、測定は同じようなやり方をしているか、結果に特徴はあるか、といったことについて調べる。
注意してほしいのは、ここで一言一句論文を丁寧に読む必要はないということだ。主要な科学誌の論文であれば、要約と結論、図を見ればある程度のことはわかるように書かれている。できればこのステップではあまり時間を使いたくない。
下準備(測定対象の条件出しや作製)
先行研究の分析が終わり、自分の研究テーマについて全貌がはっきり見えてきたら、いよいよ実験に取り掛かる。
その前にやらなければならないのが、実験の下準備だ。
例えば、電気抵抗を測る場合には電極と銅線、それに電源が必要だ。それ以前に測定対象の物質がなければ合成や作製を行わなければならない。
条件出しについては、初めのうちは要領がわからないと思うので、助教や先輩に相談しながら進めていく。
研究ロードマップのまとめ
これらのプロセスを経て、いよいよ自分の研究テーマで実験をスタートできる。
なお、以上で説明した内容はあくまで僕の経験に基づいた一例であって、必ずしも一般化できるとは限らない。
研究分野や研究環境によって臨機応変に内容を変えつつ、うまく参考にしてもらえれば と思う。
エッセンスだけ抜き出してみると、研究を進める上で重要なのは
- 研究テーマの本質をつかむ(自分の研究を一言で説明する)
- 仮説を立てる(やるべきことを絞る)
- 実験しながら学ぶ(実際に使うことで知識が定着していく)
ということになる。
闇雲に実験するのではなく、ロードマップを書いてゴールまでの道筋を明確にしてから取り組む方が、はるかに速く目的地へたどり着く。
研究を始める前のひと手間で、そこから先の進捗速度が段違いに変わる。
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研究と競技を両立するための3つの鉄則
学部を卒業するとき、「大学院へ進学しても競技を続けます」と宣言する人は少なからずいる。
しかし、実際にはその多くが卒業研究という「洗礼」を受けて疲弊し、大学院へ進学した後も結局忙しいことに変わりはないため、そのまま競技をやめてしまう。
確かに、院生の忙しさは学部生時代のそれとは明らかに異なる。競技を続けることは、院生になる前に思っていた以上に難しいものであることが多い。
だから、研究しながら自己ベストも更新し続けているのなら、それだけで立派な両立だと思う。東大・GMOの近藤選手や九州大の古川選手のように、院生でありながら高いレベルで活躍している人はいるけれども。
僕は、「院でも競技を続けたい」という人には是非とも競技を続けてほしい。
そして、研究で忙しい中でも、「やっぱり陸上競技は楽しい!続けてきてよかった!」と思ってくれる人が一人でも増えてくれると、そんな嬉しいことはない。
そんな気持ちで、今回は、
- 今は学部生だが、院でも陸上を続けたい人
- 院生となったが、思うように競技に時間を割けない人
- 競技を続けたいが、研究でもそれなりに成果を出したい人
に向けて、
「研究を要領よく進めていく方法」
について書いてみた。
僕の経験論が中心になるが、途中で動画や書籍などを引用して少しでもわかりやすくなるように心がけた。
一つでも役に立つことがあったら、ぜひ自分の研究生活に取り入れてほしい。
はじめに:記事を書いている人について
僕と面識がない人へ向けて、少しでも説得力を上げるために、僕自身の実績について書いておく。自慢みたいで嫌だけど。
研究(学部4年10月~)
専門:物性物理学
博士課程1年生、学振特別研究員(DC1)
学会発表 → 英語口頭講演3件(国内2件、国際1件)、日本語口頭講演1件(国内)
論文 → 筆頭著者1件、第三著者1件(いずれも査読付き英語論文、インパクトファクターは3前後)、現在執筆中3件(すべて査読付き英語論文、筆頭著者)
受賞 → 学会4件(講演賞3件、論文賞1件)
その他 → プレスリリース、新聞報道(Web、紙面)
競技(高1~)
学部ベスト 15'08", 31'21"(いずれもB4時)
M1ベスト 15'08", 31'19"(5000は0.5秒、10000は2秒更新)
M2ベスト 14'55", 31'13"(5000は12.5秒、10000は6秒更新)
研究単体、競技単体で見れば、僕より実績がある院生はわんさかいる(NatureやScienceの姉妹紙で筆頭著者論文を持っている同期、院生なのにプロランナーの後輩など)。
けれども、研究と競技の掛け算で競う種目があったら、結構いい線いっている自信がある(そんな種目ないけど)。
研究を要領よく進めるとはどういうことか
まず、前提を確認しておく。ここがずれてしまっていると、ここからの話もうまく伝わらなくなってしまうからだ。
ここで言う「研究を要領よく進めていく」とは、
陸上競技との両立を図るために、
競技に割く時間を確保した上で、
研究に使える限られた時間を最大限に活用し、
自分が望むレベルの成果を出す
というものである。
どれくらいの成果を望むか
研究において、各個人が望む「成果のレベル」は異なる。
修士号を取ることが目的なのであれば、修士論文審査に通るだけの成果があればいい(そして通常、よっぽどのことがなければ修士号は取れる)。修士卒で就職する人はこれに当たる。
学会発表や論文投稿をしたいのであれば、それに見合う成果が必要だ。博士へ進学する予定がある人は、学振特別研究員として採用されるのに足る成果があった方がいい。
NatureやScienceへ自分の論文を載せるのが目標であれば、尋常ならざるコミットと卓越した能力、研究室の大いなるバックアップが必要となる。そしてその場合、普通は競技など他の物事との両立は諦めるべきかもしれない。
したがって、ここでは、「修士号取得」もしくは「学振特別研究員採用」のいずれかを目指す人が、競技と両立しながらその目標を達成するためにどうすればいいか、という観点で話を進める。
(厳密には、論文や学会発表の成果があれば学振特別研究員に必ず採用されるわけではない。書類の巧拙に加え、周囲のレベル、時の運にも左右される。しかし、これらの成果が採用のためにプラスに作用するのは確実なので、ひとまずここを目標地点にしている)
要領よく進めるのに必要なことは何か
上記のような目標を達成するために使える時間は限られている。
まして、競技と両立しようとするならなおさらだ。
競技で結果を出す(≒自己ベストを更新する)ためにはそれなりの時間とエネルギーが必要となる。練習時間の確保はもちろん、睡眠は削れないし、入浴やストレッチ、マッサージといったケアの時間もおろそかにはできない。
研究が忙しくなると、練習を減らすか、睡眠を削るかして競技の方の時間を削ってしまいがちである。これでは両立は心もとない。
両立のためには、競技に使う時間をあらかじめ決めておき、どんなに忙しくなってもその時間は削らない方がいい。その代わり、研究の生産性を上げることを考えよう。
研究での生産性を上げるとはどういうことか
ここで言う生産性の定義は以下の式で表される。
生産性 = (得られた成果)/(投入した時間)
そして、「生産性を上げる」とは、
- 同じ時間で得られる成果を大きくする
- 同じ成果を得るために必要な時間を減らす
の二通りがある。
基本的には、「修士号獲得」「学振特別研究員採用」のような成果は何が何でも手に入れたいものだと思う。得るべき成果をここより下げるわけにはいかない。
一方で、それより大きな成果を得ることがどれくらいの価値となるのかは、人によって異なる。論文を何本も出せたらそれはそれで嬉しいのかもしれないが、企業へ就職する(アカデミアに残らない)人にとってはそこまで重要な成果にはならないだろう。
したがって、ここでは成果を大きくすることを目的としない。以降、「生産性を上げる」とは、「成果を得るために投入する時間を少なく済ませる」と同義であるとしよう。
生産性の概念に不慣れな人は、「自分の時間を取り戻そう―ゆとりも成功も手に入れられるたった一つの考え方」(ちきりん著、ダイヤモンド社)を一読するといいと思う。
研究での生産性を上げるための三つの鉄則
さて、いよいよ本題に入る。
僕が思う「研究を生産性を上げるために守るべき三つの鉄則」を紹介する。
それぞれの項目について、1記事ずつ作成してあるので、興味のあるものから読んでもらえると嬉しい。
【その1】自分の研究のロードマップを作る
研究を効率良く進めるにあたっては、「自分の研究の主導権を自分で握る」必要がある。
そしてそのために必要なのが、「自分の研究のロードマップを作る」というものだ。
【その2】論文は必要に迫られてから読む
研究の中で大きな割合を占める「論文を読む」という時間。これをいかに最適化するかによって、研究に必要な時間をうまくコントロールできるようになる。
論文を「必要に迫られてから一気に読む」こと、そして「必要なところだけ読む」ことによって、そのような最適化が可能となる。
【その3】タスクは可能な限り前倒しして終わらせる
院生には「極めて忙しい時期」が存在する。それは、学会の直前や、学位論文提出の直前などの「締め切りに追われる時期」である。
長期的視野を持ち、なるべく早く取り掛かるようにすれば、忙しさを分散できるようになる。「先延ばし症候群」から脱するためには、とにかく着手を早くすること、できれば締め切りより遥かに前の時期にどんどん終わらせることを習慣化することが肝要だ。