走る前に頭の中を空にしておきたい

陸上(長距離)・博士課程での研究について。

心を強くする

後輩たちの予選会の結果は良くも悪くもほとんど予想した通りになった。合計タイムや下位層については予想より少し悪かった。彼らが掲げていた目標タイムと比較して、僕はかなりシビアに現実的なタイムを予想していた。しかし、現実はさらにシビアなものだった。上3人は僕の予想よりいいタイムだった。けれど、上2人の勝負強さを見て3番手の後輩は頭を抱えているようだ。

苦しいところでどれだけ頑張れるかは、成し遂げたい目標への執着度で決まる。多くの人にとって、「箱根駅伝」と「○○分」とでは、目標の魅力度が桁違いに感じられるはずだ(たぶん)。

どこかの大学が予選会からの本戦出場でシードを勝ち取ることは毎年のように起こることではあるが、基本的にはシード校の方が強い。ただ、個々の能力(≒自己記録)とレースでの結果を見比べると、そこまで大差がつくほどの実力差があるわけではない。それなのに、上位の大学になるほど各選手が自分の力を発揮できていることが多い。上位の大学にいい選手が集まっているというのもあるが、本番で実力を発揮できているチームが良い結果を出すことができているとも言える。

これは、実力を発揮するための何らかの方法論があって、それによってそのような状態をもたらしている、という話にとどまらない。青学が「ピーキング」の重要性を世に知らしめたが、僕の意見ではピーキングが全てとは思わない。ピーキングは確かに重要だが、それだけでなく「優勝」「シード」といった執着できる目標があるチームほど、実力発揮率が高くなっていると考えている。そういう意味では、4~7位くらいのチームよりも10位周辺のチームの方が「全力で」走れている可能性はある。こういう表現をするのは全力を尽くしていない選手がいるとみなしているようで失礼にあたるのかもしれないが、実際に自分では全力のつもりでも身体はまだ余力を残してしまっているということはよくある。執着できる目標があると、自然と本来の力が引き出される。

 

そもそも人間は、自分の持っている力をほとんど生かしきれていないことが多い。その原因は脳にあるとされる。脳そのものも活用しきれていないし、脳が操る身体運動においても同様に力を出しきれていない。

心理的限界と生理的限界」の実験は有名だ。被験者に「全力で」出力させた筋力(=心理的限界)を、電気的に出力させた最大筋力(=生理的限界)が上回るのである。これは、発揮される筋力が脳により制限されていることを意味する。

この制限は人間が生き延びるために必要なものだ。本来筋肉は、自分自身を断裂させられるだけの張力を発揮できるが、身体が壊れてしまうのを防ぐために脳が筋肉の出力をセーブしている。いざというとき、普通では考えられないほどの力を発揮する「火事場の馬鹿力」というのは実際にある現象だが、命の危機に相対して脳がリミッターを外し、本来の力を余すことなく発揮できるようになるのである(生き延びたとしておそらく後に激しい筋肉痛や筋断裂などになるかもしれないが、死ぬよりはマシだと身体が判断する)。

そこまでの状況に至らなくとも、心理的限界をトレーニングによって引き上げることが可能であることは明らかになっている。トレーニングをしていない場合、普段の生活に必要のない力を発揮して身体を壊してしまってはいけないと脳が判断し、生理的限界からみて余裕を持ったところに心理的限界が設定される。まして、便利になった現代において大きな力を発揮したり、全力で速く走ったりする場面はほとんどないのだから、身体が壊れるリスクを最小限に抑えて生活することは理にかなっている。

ハードなトレーニングを積んでいくと、身体能力向上により生理的限界そのものが高まる(「生きるのに必要」と脳が判断して筋肉を発達させる)と同時に、心理的限界も高まる(最大限に筋力発揮を行う場面が現れることで、脳が「必要」と判断して心理的限界を生理的限界へと近づける)。これは筋力に限った話ではなく、一般的なスポーツのパフォーマンスの心理的な限界値が一様に高まると考えてよい。このように、トレーニングの効果には「生理的限界を高める」ことだけでなく、「心理的限界を高める」ことも含まれることは知っておくべきだ。

ところが、これらの目的は必ずしも一致しない。生理的限界は(少なくとも長距離走においては)全力の8割くらいの負荷でも十分に向上していくので、心理的限界を高めるほどの精神的にハードなトレーニングは故障のリスクが高くて頻繁に行うのは合理的ではないと考えられるからだ。いわゆる「オールアウト」の練習は心理的限界を引き上げる目的でも行われるが、結局のところ取り組めるのはせいぜい月2回だろう。しかし、普段からほぼ毎日コンスタントに走ることが求められる長距離ランナーにはあまり効果的とは限らないし、人によって合う合わないがあるから慎重に取り組むべきだ。

 

とはいえ、心理的限界を高めるためにはトレーニングだけでは不十分だ。心理的限界は、その言葉の通り精神面に大きく左右される。初めに書いたように、勝てると感じるときやどうしても達成したい目標があるときは力を引き出しやすいし、かと言って過度な緊張やプレッシャーはマイナスに働いてしまう。

雑念が完全に消え去り、身体の動きにただ没頭した状態は「ゾーン」「フロー状態」などと表現される。これらの言葉はそれぞれ細かく使い分けられているのかもしれないが、それはともかく「ただ身体の動きに没頭している」のが望ましい集中状態であることは疑いようがないだろう。そういうときには緊張も感じることなく、本来のパフォーマンスを最大限に引き出せることが多い。

そのような状態に入るきっかけの一つとしては先述したような「執着できる目標」の存在などがあるが、訓練によってそうした集中状態に入りやすい精神を養うことは可能である。例えば、「集中力 人生を決める最強の力」[セロン・Q・デュモン著、ハーバー保子訳、サンマーク出版(2006)]には、集中力の重要性が述べられているだけでなく、いかにして集中力を鍛え、育てていくかについての指南が書かれている。

様々なエクササイズが紹介されているが、個人的にオススメなのは「ドアノブに意識を集中するエクササイズ」である。やり方は、

①ドア(ドアノブがついていれば何でもいい)の手前に椅子をおいて腰かける。

②時計を準備する。

③今何時何分かを把握したら、すぐにドアノブに視線を移しドアノブに意識を集中する。

④5分経ったと感じるまでドアノブから視線をそらさず、一切余計なことは考えないでただドアノブに意識を集中する。

⑤5分経ったと感じたところで実際に経過していた大体の時間を確認し、その時間を記録する。また、その間に頭に浮かんできた「雑念」を全て書き出す(専用のノートを用意しておくとよい)。

という感じだ(本文を参照せずに書いているので誤っている箇所もあるかもしれないが、その場合は本文の記述を信じてほしい)。

僕は高3の駅伝のために数ヶ月間、毎朝起きてすぐにこのエクササイズに取り組んだ。駅伝の結果は(今の水準からしたら大した記録ではなかったが)当時は満足のいくものだったし、ここで培った集中力はそれ以降も他の様々な物事において自分の成長を助けてくれるものとなった(もちろん、陸上での成長の助けにもなった)。

ドアノブに意識を集中させるということは、特に始めたてでは容易ではない。脳は常に刺激を求めていて、退屈に感じるとすぐに意識が散漫になってしまうからだ。それだけでなく、辛い苦しい堪え難いといったネガティブな感覚を覚えているときも、その辛さを紛らわすために余計なことを考えようとする。楽しいと感じることには自然と没頭できるが、レースは必ずしも楽しいものではなく、走っているときは苦しいものだ。退屈で苦しいものから意識をそらさせようとする脳の働きは精神が壊れないようにするための防衛機能と考えることもできるが、現実の辛さから目をそらすことは必ずしも事態を好転させるとは限らない。自然とフロー状態に入り、夢中で走っているうちに結果が出た、ということばかりではない。夢中で走れるようになるための方法を模索するのも一つのやり方ではあるが、現実の辛さと向き合い、それに耐えながらも決してひるまず前へ力強く進んでいくための精神力を身につけるというアプローチも、実力を引き出すために効果的なのではないかと思う。