研究室配属の思い出
もくじ
くじ引きで研究室配属が決まる
僕が所属していた専攻では、卒論研究を行う研究室はくじ引き、修論研究の研究室は院試の成績で決まることになっていた。
卒論とはいえ、本格的なテーマで研究をするのが慣例になっている。卒論発表を聞いていると、時々「○○で世界記録更新」や「○○という系で初観測」のような、「世界初」の結果が飛び出してくる。
僕自身、卒論研究で学術誌論文へ投稿できるような研究を行っていた。
アメリカの学会誌に出版された一本目の論文のデータの一部は、学部生時代の卒論研究の過程で得られたものだ。
そういうこともあり、卒論研究での研究室配属決めは、多くの学生にとって一大イベントだ。
4月の前半に、各研究室が学部4年生向けの見学会を企画する。理研など、外部に研究室を持っているところはそちらを公開することもある。
見学会で研究環境を見たり、先生や学生の話を聞いて、それぞれ希望配属先を固める。
そして、4月の下旬にくじ引き大会が行われる。
くじ引き大会では、決められた日時に専攻内の4年生が一つの教室に集められる。
みんな緊張でそわそわしている。
「俺、○○研行こうかな」などと揺さぶりをかけてくる人もいる。心理戦だ。
そして、学科長の合図のもと、それぞれが希望する研究室に名前を書きに行く。
定員より多くの希望者がいるのを見て、そこまで人気が集中していない研究室に名前を書き換える人もいる。
そうした駆け引きを経て、定員より多いところでくじ引きが行われる。
くじ引きでは、箱から数字の書かれたボールを取り出し、より大きい数字(小さい数字)を引いた人が内定を勝ち取る、という簡単なものだ(大きいか小さいかは、学科長の気分で決まる)。
みんなが見ている前でくじ引きをする。みんな相応の気合いで臨むため、結果が出た際には思わず悲鳴や歓声を上げる。
それに合わせて聴衆が一緒に(意味なく)歓声を上げたり、研究室から迎えに来た院生たちや、そもそも全然違う学科の人たちが、一緒になって後ろでワーワー騒いでいる。何の祭りだ。
見る分には楽しいかもしれない。しかし、第一志望への思い入れが強ければ強いほど、当事者にとってこのイベントは胃痛ものである。
第一志望で決めたい切実な理由
さて、くじ引きに通らなかった人たちを対象に、第二志望を宣言する時間が与えられる。
第二志望とは言っても、人気どころの研究室はおろか、ほとんどの研究室で定員が埋まっていることが多い。したがって、志望というよりも、「残った枠の中でどこを選ぶか」という後ろ向きな消去法的選択と言った方がいい。
第一志望に通らなかった人の多くが絶望の表情を浮かべているのは、ただ通らなかったからではない。
柏に行きたくないからである。
学部生が配属される研究室は本郷、駒場(生産研)、柏の葉の3つのキャンパスから成る。
ほとんどが本郷の研究室だが、全体の2~3割程度の学生は柏の葉キャンパスの研究室へ配属となる。
そして、柏の研究室は柏にあるというだけの理由で恐ろしく人気がない。見学会で先生方や学生がいくら研究の面白さや、研究環境の良さをアピールしても、学生は柏へ行きたくないのだ。
誤解を防ぐために付け加えると、何も柏の葉キャンパスが劣悪な環境だからとか、そういう理由で人気がないわけではない。むしろ、研究環境は本郷や駒場より遥かに優れている。
研究所は広々としていて、実験室も居室も広く、振動が少ないから繊細な装置でも使用が可能だ(本郷は都心にあり、地下鉄も多く通っているため、精度が必要な装置は理研で使用されることが多い)。
人も車も多くなく、緑があってのびのびとしている。都心の喧騒から離れて研究に打ち込むには、この上ない環境だ。
何故柏を希望する学生がこれほどまでに少ないのか。実のところ、僕にもよくわからない。
僕自身は、本郷キャンパスの研究室に埼玉の実家から通っている。柏の葉キャンパスだと通学時間が1時間半になり、20分くらい長くなってしまうため、本郷を第一志望としていた。
しかし、後にも書くけれど、柏になったらそれはそれでいいと思っていた。本郷より通うのは大変だけれど、通勤ラッシュの時間帯に1時間40分以上かけて通学した高校時代を思えば大した問題ではない。
一人暮らしなら、家賃など考えると柏の方が住みやすいくらいかもしれない。駅前にショッピングモールがあるし、生活に不自由することはないと思う。
強いて言えば、友達が都内にいる場合、会いに行くのが億劫になる(つくばエクスプレスは交通費が高いのであまり頻繁に使いたくない)。
あとは、都会に慣れてしまうと、人が少ないので寂しいと感じるかもしれない。
さて、そんなこんなで柏の研究室を初めから希望するのはせいぜい2, 3人である。
第一志望の研究室を宣言する(黒板に名前を書く)際、必ずしも全員が「本当の第一志望」を宣言しているわけではない。
何故なら、くじ引きに敗れた場合は高確率で柏へ行くこととなってしまうので、そのようなリスクを取るくらいなら、「すごく人気があって競争率の高い第一志望」より「競争率がそこまでではない第二志望」を選ぶ方がいいと考える人が出てくるからだ。
そのような駆け引きがあるため、本郷の研究室にはほとんど空席ができない。
したがって、本郷(+駒場)の研究室を志望する人から10人強はくじ引きに敗れて柏へ行くこととなる。
くじ引きに敗れた友人が取った、意外な決断
僕自身については、くじ引きに関してそこまで面白いエピソードは特にない。
特に心理戦もせず、第一志望に名前を書き、くじ引きで運よく3分の2を引き当てることができた。
ここからは、とある友人のエピソードを紹介しようと思う。
その友人とは、学部3年次後期に実験ペアだったこともあって仲良くなった。
3年生では、本郷・柏の研究室で実験をする実習がある。
柏での実験を経て、彼は「環境は良さそうだけど、家(神奈川)から遠いし、量子コンピュータに興味があるからさすがにないかな」と言っていた。
量子コンピュータを初めとした、量子情報分野を扱う研究室は本郷・駒場(・理研)に限られる。
学部4年生を受け入れる柏の研究室はいずれも、物性物理分野(主に固体内部で生じる特異な物理現象を研究する)の研究室だ。
4年生になり、くじ引き大会の当日。たまたま講義で会い、そのまま一緒に昼食を摂った。
自然と、研究室配属についての話題になった。
僕は初めから物性物理に興味があったので、彼と希望が被ることはないと思っていた。そのため、特に心理戦とかは気にせず、第一志望を教えた。
加えて、くじ引きに通らなかったら柏になるけれど、その中だったらこの研究室へ行きたい、という話もした。
その研究室は柏に移ったばかりだったが、研究内容及び先生の人柄に惹かれて、そこにしようと考えていた。
毎年、学部4年生向けに、柏の研究室見学ツアーが開催される。当日は午後からの開催だったが、先生方に個人的にアポを取って、午前にお話を伺っていた。第一志望に通らなかった場合を見越して、あらかじめ第二志望をきちんと固めておいた。
そんなわけで「この先生、すごく人柄が良くて、熱心にお話していただけてよかった」という話を友人にしたら、「そうなんだ」というリアクションだった。
そして、友人にどこに出すのか聞いてみると、「やっぱり古澤研かな。でも第二志望は考えてないわ。」とのことだった。
古澤明教授は、光量子コンピュータの世界的権威であり、メディアへの露出や著書などの影響で知名度が高い。古澤研究室には、毎年のように志望が殺到する。
量子情報分野の研究室は3つ(合計で8人程度しか受け入れられない)であるのに対し、この分野を志望する学生は20人近くいると思われる。
くじ引きの前には駆け引きを経て光学の研究室へ志望を変える人も現れるが、それでも量子情報分野の競争率が最も高い。なかでも古澤研は、知名度の意味でもトップクラスに人気がある。
いよいよくじ引き大会。
古澤研は定員4人に対して7人志望となった。そこに、例の友人の名前もあった。
7分の4。決して低い確率ではない。
しかし、勝者がいれば敗者もいる。彼は、古澤研への切符を勝ち取ることができなかった。
彼は、苦笑いを浮かべていた。
くじ引きに敗れた人達の第二ラウンドが始まった。
本郷の研究室はわずかに空席が残っていた。一つは物性、もう一つは光学。
量子情報分野を志望していた人の志望は案の定、光学の研究室の残り人枠に集中した。
物性を志望している人は、観念して柏の研究室を選ぶ人も出てきた。
第二志望を考えていなかった彼も、本郷にある光学の研究室へ志望を出すものと思って、僕は成り行きを見守っていた。
しかし、彼は何を思ったか、僕が第二志望にしようと思っていた研究室に志望を出したのである。
その研究室は柏へ移ってきたばかりであり、装置の立ち上げなど、学生の仕事量が多く大変になることが予想されていた。そのため、柏の研究室の中でも、その研究室は一人しか志望者がいなかった(その人は第一志望で出していたので既に内定していた)。
残っていたもう一つの枠には彼以外に志望者がいなかったため、そのまま内定となった。
量子情報に興味があって物性を選ぶつもりはなく、第二志望も特に考えていなかった彼が、あまり人気のないその研究室を選んだ。
くじ引き大会が終わったあと、どうしてその研究室にしたのか聞いてみた。すると、「わからない。勘、かな」と言っていた。
直感というのは思いの外、認知の歪みに影響されている。
明らかに、僕が昼食時に彼にその先生の話をしたことが影響している。そうとしか思えなかった。
僕個人の意見でしかない話をして、彼自身の選択に干渉してしまったのではないかという後ろめたさを感じた。
いつの間にか楽しくなっていた
前期はまだ講義があったので、時々会うこともあった。
彼は、院試で本郷へ戻るつもりだと言っていた。実際、過去問も解いていた。
しかし結局、彼は柏の院試を受験し、そのまま同じ研究室へ進学した。
一旦柏に配属されると、そこから本郷の院試を受けるのには心理的なハードルが生じる。口述試験のノウハウがなくて不利であるほか、本郷の院試は競争が厳しく、志望した研究室に入れる保証がないからだ。それよりは、ある程度勝手がわかっている今の研究室にとどまった方がいい。そう考える人は少なくない。
彼も、そのように考えて柏に留まることにしたのだろう、僕はそう考えていた。
卒業式、久々に会う機会があった。
研究の具合はどうか聞いてみると、「すごくいい先生だし、研究も面白いし、毎日楽しいよ」と言っていた。
「それはよかった」と返した。
けれど、本音では半信半疑だった。その研究室を(半ば)勧めた(?)自分に気を遣っているのかもしれないと思った。
でも、それ以上余計な詮索はしなかった。
それから半年経って、学科の友人と何人かで飲み会をした。
その際、何気なく例の友人にも声をかけてみたところ、柏からはるばる本郷まで来てくれた。
最近どうかと聞いてみると、彼は開口一番、
「朝から晩まで研究漬けだけど、こんなに楽しくなるとは思わなかった。リーディングも通ったから博士まで行くよ」
と言った。
リーディングというのは、博士課程進学を確約することで、修士1年の秋から毎月20万円の奨学金をもらえる大学の教育プログラムである。修士卒で就職する道を絶つ代わりに、他の学生と比べて金銭面で大きな恩恵を享受できる。
M1春の段階で、少しでも修士卒就職を考えている人はリーディングは出さない。僕も出さなかった。
もともと量子コンピュータの研究をしたいと語っていた彼が、あろうことか全く異なる分野で博士号を取りに行く道を選んだのである。
彼の「研究が楽しい」という言葉は本物だった。
「もう、量子コンピュータに興味はないの?」質問せずにはいられなかった。
「そうだね。今やっていることが面白いから、量子情報にはもう興味なくなっちゃったんだよね。」
思いもよらなかったことにハマることもある
彼のように、もともと興味のなかった分野で、研究を始めてみたらいつの間にかハマってしまったという人もいれば、
一方で、激戦を勝ち上がって第一志望へ進学したにも関わらず、「思っていたのと違う」と感じて研究に打ち込めない人もある。
研究を始めてみないとわからないことも多い。だから、よく後輩たちには、
「この研究室に入れなかったらどうしよう、なんて考える必要はない」
「第一志望に通ればそれで幸せ、とは限らない」
という話をする。上記のエピソードを話しつつ。
何が楽しいかわからないなら、何を基準に決めればいいのだ、
と思われるかもしれない。
それは純粋に、「面白そう」と思ったところを選べばいいと思う。
ただ、その後、自分の希望通りになろうとなかろうと、研究を楽しめるかどうかは本人の心持ち次第で決まる。
第一志望に入れたからといって、「面白いものは周りの環境が与えてくれる」と考えて「待ち」に徹するのではなく、
希望通りの場所に入れなかったからと言って、「周りの環境のせいで、面白くない」と考えて「待ち」に徹するのではなく、
「いま置かれた環境で、最大限面白いと思えることをやる方法は何だろう?」と前向きに、主体的に考える姿勢が大切なのだと思う。
まあ、僕のように、たまたま第一志望を引き続けた人間が言っても説得力はないのだけれど。。。