「忙しい」という思考停止
前回、
「周囲の評価は度外視して、自分の考えで学科を選べばいい、当然ホワイト学科の方が陸上をやる上ではいいけどね」
という話をした。
今回は、蛇足ではあるけれど、
忙しい学科を選んで両立を図ったにも関わらず、見事に失敗した経験談
を書いてみる。役に立つかはわからない。
忙しい学科へ行って最も避けるべきことは、「忙しいことを言い訳にする」ことである。
忙しい学科にいれば、結果が出なくても「忙しいから仕方ないよね」と周りが同情的になる。無意識のうちにその状況に安住してしまい、いつの間にか結果にコミットすることをやめてしまうのである。
そして次に避けるべきことは、「忙しい現実を受け入れず、取捨選択をしない」ということである。
忙しくなるとわかっているなら、それなりに対応策を考えるべきだ。
それなのに、全部やろうとしたから、全部中途半端になってしまった。
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僕は進路選択の上ではそこまで深く考えることなく純粋に興味のある学科を選択した。
その学科はどちらかと言えば「ブラック」側であり、進路選択をした当時の部内にはその学科に所属している先輩は一人もいなかった。
ただ、受験勉強で忙しかった高3時代にも実力を伸ばせた経験から、「まあ何とか両立できるでしょう」という甘い見通しでいた(その年の大学受験には失敗したので全然両立できていないのだけれど)。
専攻した学科での履修が本格化した3年次。初めて5000mの自己ベストを更新できない年となった(浪人時代を除くと、陸上を始めてから今に至るまで、5000のベスト更新ができなかった唯一のシーズンだった)。
2年次に患った疲労骨折の影響もあったが、一番大きな理由は「両立できていなかった」ことだと思う。
伸び悩んでいても周りは「忙しいんだね…」と同情的で、うっかり油断すると自分まで「忙しいから仕方ないか」と納得して努力を放棄しかねない状況だった。
だから、当時は「忙しさを言い訳にしてはいけない」と自分に言い聞かせていた。朝5時に起きて朝練して、満員電車に乗って1限から授業に休まず出席し、夕方の空きコマにジョグをして、授業が少ない日にアルバイトを入れた。土日は部活の練習や試合を除くと、大量のレポートをこなすので手一杯だった。
表面的には、部活のポイント練習もこなして間の日もちゃんと距離を走っているのにも関わらず、「なぜか記録が伸びていない」というような状態になっていた。
しかし、睡眠を削って練習時間を確保し、課題をこなし、様々なことを考えなければならない状況(当時は幹部決めが難航していた)において、自分の心は「実力を伸ばす」ということに向いていなかった。
練習をタスクのようにこなし、たいした工夫も分析もせず、「これだけやれば伸びるはずなのになんで伸びないの」と悲劇の主人公ぶっている時点で、まったくもって結果にコミットしていなかった。
外側だけ体裁を整えた、中身のないハリボテのような取り組みだったのだ。
このような状況に陥ったのは、自分が忙しかったからではない。捨てるべきものを捨てることができなかったからだ。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。
自分が学生陸上をする目的は、自分の実力を伸ばすことで得られる喜びと試合で勝つ喜びの二つに集約される。
大学へ行く目的は、自分の興味のある勉強をすることと学位を取ることである。
しかしながら、以下のようなものを捨てられなかったことが、本来の目的を達成するための大きな障壁となってしまった。
「講義には出席しなければならない」という義務感
果たして自分は出席した講義の内容をすべて習得できただろうか。いや、ほとんど吸収できていない。
一生懸命先生の話を聞いてノートを取り、なるべくその場で理解しようとしていた。しかし、睡眠を削っているから睡魔は襲ってくるし、内容が難解だから聞いてすぐ理解できるようなものでもない。
ただ頑張っているつもりになっているだけで、本質的には何も得られていない。時間の浪費だ。
講義に出ることそのものが時間の浪費だとは言っていない。ただ、それなりの意志がなければ、講義へ出て時間と労力に見合うものを得るのは難しいということだ。
結局のところ、試験前になって必死に勉強し、ぎりぎりで単位を取るのが精一杯だった自分にとって、講義への出席は単なる義務感だった(ちなみに、自分の学科は出席を取る科目が少なかったから、なおさら出席する必然性はなかった)。
さらに、一年経って内容をほとんど忘れてしまったので、院試勉強をするために一から独学でやり直す羽目になった。
人間は必要に迫られなければ目の前の物事に真剣に向き合えない。自分では一生懸命頑張っているつもりでも、実は大して頑張れていないことも多い。それは気持ちの問題ではなく、人間の脳はそのようにできているのだ。
時間というコストを支払っているなら、それに見合うだけのリターンを得なければならない。そのような感覚が当時の僕には欠如していた。
単純に1限に出ないだけで睡眠時間の確保・満員電車からの解放という大きなリターンがある。しっかり睡眠をとって朝練ができるし、電車の中で勉強もできる。
部活の日は4限の後、荷物を背負って駅まで走って電車に乗り、電車の中で翌日の実験の予習をして、電車から降りてグラウンドまで走って向かい、着いた10分後にポイント練習スタート。こんな状況で質の高い練習ができるわけがない。
義務感さえ捨てればはるかに大きなものが得られる。なんでそんな簡単なことがわからなかったのだろう。
「周りと同じ科目を履修する」ことへの安心感
卒業に必要な単位数の半分くらいは必修科目で、興味のある物理関連の科目、学生実験、卒業論文が含まれていた。残りの半分は自分で好きに選べる選択科目で、「限定選択」と呼ばれる科目の中から一定数履修しなければならないのを除いて、比較的自由に履修を決めることができる。
僕が所属していたのは工学部で、工学部内であれば他の学科の授業は制限なく履修して単位とすることができた。また、他学部の授業も簡単な申請で一定数までは卒業単位に組み込める。
このような仕組みがあるにも関わらず、僕は周りの人と同じような科目を履修した。具体的には、選択科目のほとんどを「限定選択」の科目で埋めていた。
これらの科目は、物理のほかに情報や数学、回路などといったものが中心であった。こういったものに興味があるなら履修するのは意味があるけれど、僕はただ何となく「みんながそうする」ようにこれらの科目を履修した。
この選択が僕の首を絞めた。
正直、物理以外の科目にはそこまで興味がなかった。当然、学習には身が入らないし、それでいて授業に(義務感で)出席するから時間とエネルギーはどんどん奪われていった。
実は、他学部や他学科の授業のなかにも、物理を扱う科目はたくさんあり、実質的にはまったく同じ分野を扱っているものもあった。
同じ内容なら、1科目分の勉強で2、3倍の単位を取得できることになる。しかも、一つの科目について、複数の先生による異なる流儀の講義を受けることで、その学問を多角的に見る視野も養われる。
あるいは、物理にまったく関係がなくても興味がある授業を履修してもよかっただろう。前期教養課程では、必修科目が理系であることを鑑み、選択科目では心理学や教育学、スポーツ学など、幅広く履修していた。
しかし、「専門課程では専門を突き詰めるべき」「選択科目で情報や数学を勉強することで物理との相乗効果が生まれる」などという不可解な説明を真に受け、周りの人と同じような履修をした。
思考が停止していた。
その結果、「みんなと同じ科目を取っていれば大丈夫」というかりそめの安心感を得るために、もっと合理的な選択をしようという考えが浮かばなかった。
「一か月○○km走らなければならない」「毎日走らなければならない」という義務感
これに関しては3年次に限らないけれど、常に走行距離に関する義務感があった。
走行距離を伸ばすことで実力も伸びているならいいのだけれど、3年次は睡眠を削ってまで距離に固執していたので本末転倒だった。
大学生は忙しい時期とそうでない時期の差が大きい。
忙しさに関係なく同じくらい練習しようとするのは思考停止状態で、忙しいなら「いまは忙しい時期だから、練習時間が少ない中でなるべく実力が伸びるよう工夫しよう」とか、長期休暇中は「時間がとれるから量を増やして、その分睡眠やケアの時間をいつも以上に取ろう」というような柔軟な発想をなぜ持てなかったのだろう。
また、これは学部3年次に限った話ではないけれど、そもそも論として「速くなるためにはいっぱい走ってポイ練も一生懸命走る以外に道はない」という思い込みが、成長の妨げとなってきたことも事実である。
身体のことを一生懸命研究してきたのは、それを生かすことで要領よく走力を伸ばしていくためではなかったのか(この失敗のおかげで院生になってから成長できているとも言えるけれど)。
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「どんな練習をするべきか」という話題は、(陸上に限らず)「強くなりたい」と思うすべての競技者にとって、大きな関心事であり続ける。
そして、あらゆる指導者や科学者が、そのためのソリューションを模索したり、先週に提供しようと取り組む。
情報化が進んだ現代では、これらの方法論はほとんどの人がアクセスできるようになっており、(競技レベルにもよるが)参考になる部分は多い。
しかし、それらの情報を生かす上で忘れてはならないことがある。
それは、トップアスリートのために作られた練習プログラムは、自分の持っている時間と労力のほとんどを陸上に費やせることが前提になっているということだ。
長距離で言えば、プロランナーや、(失礼を承知で言うが)実業団選手や強豪校の推薦入学者などがそれにあたる。
一方で、僕らは学業と競技を両方やろうとしているのだから、そのような前提には必ずしもあてはまらない。
日本では「大学は暇で、卒業は楽」だとよく言われる。「両立」と言うほどのことではない、と言われるかもしれない。
しかし(欧米の大学へ行ったことへないので実際に比べることはできないが)、少なくとも僕にとって卒業は楽ではなかった。
確かに、受験が「受かるかわからない」のに比べて、卒業は「しっかり勉強すれば単位は取れる」という点で、失敗するかもしれないというプレッシャーは少ない。
けれど、その「単位を取るための勉強」は、試験前日にちょっと勉強する、程度のものではなかった。
このように、陸上へ100%の時間と労力を割けない中では、陸上に使える限られた時間で、自分の実力を伸ばすために最適なやり方を模索すべきである。
中には、学業に取り組みつつプロ顔負けの練習をしている人もいるが、こうした人は例外的存在だ。
忙しいと、つい思考停止してしまう。
忙しいなら、
- その忙しさを緩和するために工夫できることはないか
- 限られた時間の中で、最も実力を伸ばせるやり方は何か
ということについてよく考えてみるべきだ。