走る前に頭の中を空にしておきたい

陸上(長距離)・博士課程での研究について。

研究と競技を両立するための3つの鉄則【その1】自分の研究のロードマップを作る

↓ はじめにお読みください

xmt6umtk.hatenablog.com

 

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この記事で言いたいこと

この記事の前半で言いたいことは、

自分の研究の主導権を握ろう」(受け身でいては研究が進まず、時間を有効活用できない)

研究ロードマップを作成し、見通しを持つと効率良く進められる

ということである。

後半では、研究ロードマップの作り方について説明する。

 

自分の研究の見通しを持つ

 研究を効率よく進めていくための大前提として、まず知っておいてほしいことがある。それは、

教授は忙しすぎて、懇切丁寧に指導してはくれない

ということである。 

教授は忙しい

教授(准教授の場合もある)は研究室のボスであり、会社で言えばCEOだ。

実際にはサービスや製品を作って売るのは社員だが、会社としての大きな指針を決めるのはCEOの仕事である。同様に、実験をしてそれをまとめるのは院生(やスタッフ)だが、研究室としての大枠を決めるのは教授である。

したがって、研究室でどんな研究をするかを決めるのは全面的にボスの意志に従うことになる。研究室へ配属されてすぐ、あるいは一つの研究テーマが一段落したとき、教授から新たな研究テーマが与えられる。

ところが、教授は忙しすぎてそれぞれの研究テーマの具体的な部分を考える余裕がない。

教授は、大学から降り続ける雑務、講義の準備、度重なる教授会をこなしながら、同時に研究室を経営していかなければならない。日本の大学教授は研究ではなく、大学での雑務や講義の対価として給料をもらっているからだ。

したがって、研究テーマの大枠だけ学生に与え、どんな実験をすべきか、実験はどのようにやるのか、何をいつまでにどこまで進めればいいのか、といったところは助教や博士の学生に丸投げ、ということが多い。

 

助教や先輩も忙しい

ところが、あなたを指導してくれる助教や先輩も忙しい。質問に対して答えることや、装置の使い方を教えることはしてくれるが、あなたの研究について主体的に考える余裕はない

何故なら、彼らもまた、上から降ってくる雑務をこなしたり、研究室運営の仕事をこなしながら、自分自身の研究も行わなければならないからだ。

そのため、配属したてで右も左もわからない、という学生であっても、研究テーマを与えられ、一通り説明を受けた後は、そのまま放置されてしまうということも珍しくない。

これは、助教や先輩に悪気があるからではない。みんな忙しいのだ。

 

何もしないでいるとどうなるか

したがって、配属したての学生は、助教や先輩から「この論文を読んでおいて」と言われてしばらく放置される。

学生は、言われたからとりあえず一生懸命読む。しかし、ほとんどの内容は理解できない。当然だ。プールで泳いだことのない子どもを海へ突き落すようなものだ。

これは、ある意味「誰もが通る道」だ。だから、助教も先輩も一から丁寧に説明してくれるわけではない。みんな自力で乗り越えてきたらだ。

学生は、論文の読み方どころか、そもそも何のために論文を読むのかもわからないので、ものすごい時間と労力をかけながら、ほとんど何も理解できないまま全体を読み終える。そのまま、引用されている論文や、文中に出てくる言葉を一生懸命調べたりして時間を使う。

しばらくして、「次に何をすればいいですか」と聞いても、忙しいから「○○を勉強しておいて」とあしらわれるかもしれない。助教が声をかけてくれるまでひたすら待たなければならなくなる可能性がある。

場合によっては、実験について手取り足取り教えてもらえる場合もある。しかし、基本的にはAの実験をやり始めたら、その先がどうなっているかなどは特に教えられることなく、ひたすらAの実験を覚える、ということになる。自分の研究のゴールまでの道筋は見えない。

つまり、自分の研究は自分で進めようとする意思がなければ、「教えてくれる人」のペースに合わせて研究を進めることになる。助教が忙しければ次のステップへ進めない。実験のやり方は他の先輩に聞けばわかるかもしれないのに、そもそも何をするのかがはっきりしないので動こうにも動けない。

こうなってしまうと、どうしても生産性を上げるのは難しくなる。上司のペースに合わせようとすると無駄な時間が発生する。

これは、「仕事の主導権が上司にある」状態だ。

 

わかりにくいのでここで例え話:カレーの作り方を教わる

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まったく料理をしたことがない人が、カレーの作り方を指導してもらうとしよう。それも、秘伝のレシピのカレーだ。

秘伝のレシピを知っている先生はまずこう言う。「野菜を洗って切っておいてください。」

とりあえず、言われたようにする。包丁を持ったこともないから、おぼつかない手つきで時間をかけて、やっとのことで野菜を切り終える。

そして、先生に「次にどうしたらいいですか」と聞く。しかし先生は、「忙しいのでちょっと待って」と言われ、そのまま手持ち無沙汰になってしまう。

もしここで、次にやることが「野菜を煮込む」ことだと知っていれば、野菜を煮込む方法について、先生の弟子に聞けば教えてもらって進められる。先生には「次のステップは弟子の○○さんに教えてもらいます」と一言断っておけば問題なかろう。

しかし、果たして次にやることは「野菜を煮込む」ことなのかはその弟子にもわからない。秘伝のレシピは先生しか知らない。もしかしたら煮込む前に何か下ごしらえをする必要があるのかもしれない。

このように、「カレーができるまでの全体像」がはっきり見えていないと、先生だけに教わらなければならなくなる。先生が忙しくなって指導できないと途端にストップしてしまう。これが、「仕事の主導権が上司にある」状態だ。

一方で、レシピの全貌が見えていれば、適宜先生以外の人に聞きながら、スムーズに進められる可能性がある。それだけでなく、次に何をどうすればいいかわかっているから、「今日はここまでやろう」「来週これをやろう」と細かく計画を立てて効率よく進めることができる。「仕事の主導権が自分にある」状態である。

このような状態になって初めて、自分の使える時間を最大限に活用できる。言い換えれば、生産性を高めることができるのである。

 

※「自分の仕事の主導権を握る」ということについては、マコなり社長の以下の動画を参考にしている(動画では、結果を出していることが前提、という話だが、ゴールを明確にして共有する、という行為は研究を初めてすぐであっても役立つ)。 

www.youtube.com

自分のことは自分で考える

研究の生産性を上げるには、主導権を手に入れなければならない。

あなたの研究はあなた自身が主体的に組み立てる必要があるのだ。

これは、研究者として一人前となる過程では当たり前のことだ。

それなのに、日本的教育のせいか、「自分が何も言わなくても、自分がやるべきことは周りが全部教えてくれる」のが当たり前だと思っている人が結構多い。受け身なのだ。

一方で、意志を持ってアカデミアへ進んだ教授や助教にとっては、「受け身」という概念そのものが理解しがたいものである場合が多い。「自分が研究したくてこの世界に進んだのだから、自分の研究は自分でどうにかする」のが当たり前だ。

そのような人たちにとって、「何も言われないと何もしない」「自分の頭で考えていない」学生を指導するのは骨が折れる

よって、指導はどうしても断続的なものになってしまう。自分自身の研究の見通しは持っていると思うが、「受け身」な学生の見通しまで考えたいとは思わないはずだ。

ゆえに、自分の研究テーマの見通しは自分で考える必要がある

これができれば、「この学生はきちんと自分で考えられる」という信頼が得られる。すると、相談や質問に丁寧に対応してくれるし、研究の進め方や計画に何か問題点があればその都度指摘してくれる。

さらに、やるべきことを計画的に進めていき、適宜実験結果が得られると「意欲的に研究している」と思ってもらえる。さらには、良い結果が出れば当然「結果を出していて素晴らしいからこのまま任せよう」というように思ってもらえる。こうなれば、ほとんど主導権を手に入れたと言ってもいい。

 

とは言っても、右も左もわからないうちは、自力で全部組み立てるのは大変な作業だ。ピアノを初めて見た人に「バッハを演奏しろ」と言っているようなものである。

ゆえに、まずやるべきことは、

助教や先輩に相談しながら、自分の研究のロードマップを作る

ことだ。

その際、何より気をつけるべきことは、「僕は何もわからないので全部教えてください」という態度で臨むのではなく、「研究のロードマップを作りたいので、具体的にどんなことをするべきか相談に乗っていただけませんか」という姿勢で話を聞くことだ。

 

研究ロードマップを作ろう

そもそもロードマップとは何かというと、

研究のゴールまでの道筋を構造化・可視化したもの

である。

平たく言えば地図である。地図を持っている人の方が持っていない人よりも目的地へ速く着ける。道に迷うことが減り、自信を持って進めるからだ。

 

ロードマップの作り方

ロードマップと言っても、そこまで大層なものを作る必要はない。

具体的には、次のようにする。

①研究テーマの「ゴール」を書く

②どのような実験でどのような結果が出ればその「ゴール」にたどり着いたことになるか、「ゴール」の下に書く

③研究テーマの核となる部分をアンダーラインなどで強調する

④仮説を立てる(②で書いた実験で、どんな結果が出るはずか、それによって何が言えるか)

⑤アンダーラインを引いた部分についてそれぞれ調べるべきこと、やるべきことをリストアップし、項目ごとに□や○で囲む

⑥それぞれのやることに順番をつける(番号、矢印)

 

ロードマップの一例を示す。ここでは見栄えがするようにパワポで作っているが、実際には手書きで十分である。人に見せるものでもないので、自分が読めればそれでいい。

 

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ロードマップの一例。

 

なんらかの固体物質の系において、新奇な物理現象を観測する、というテーマを例に挙げている。

物性物理における研究のモチベーションは、たいてい

  • 物質ドリブン(変わった物質、まだ性質が良く知られていない物質)
  • 現象ドリブン(新しい物理現象、学術的にインパクトの大きい現象)

のいずれかである。

ここでは現象ドリブンの例を示している。したがって、まだ発見されて日が浅い新奇現象を、これまでに観測されていなかった系で見よう、ということである。

 

ロードマップの中身

上に示したロードマップのそれぞれの項目について、もう少し具体的に説明する。

 

研究のゴールを設定する

まずは研究のゴールが見えなければ話にならない。研究テーマを与えられたら、何を明らかにするのが自分の研究であるのかを一言で言い表してみる。

前に言ったことと矛盾するが、この部分は、教授から直接指導をもらうべきところだ。教授も、研究資金を得るために、研究の方向性について大量の書類作成業務をこなしている。配属してすぐの学生でも研究の大枠を理解できるくらいの説明はしてくれるはずだ(もしそうでなければ教授が不親切であるか、あなたが話を真剣に聞けていない)。

 

仮説を設定する

研究をする上では、仮説を持っているかどうかで進むスピードが段違いに変わる。

「○○をしたら××となるはずだ」という仮説を立てて実験をすることで、必要な作業量が少なくなる。

詳しいことは「仮説思考-BCG流 問題発見・解決の思考法」(内田和成著、東洋経済新報社あるいは「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」(安宅和人著、英治出版 を参考にしてほしい。

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仮説の設定には、研究テーマの本質を理解する必要がある。

ここでは△△現象を指す。

この現象が最初に発見された論文はたいていNatureかScience(生物系ならCell?)に載ることが多い。裏を返せば、その新しい現象がどんなもので、どのような実験をしてどういう結果が出るか、といったエッセンスはすべてその論文に詰まっているわけだ。

したがって、その論文が理解できれば、測定によってどのような結果が期待され、それによって何が言えるか、といった「仮説」にあたる部分はおのずと明らかになる。

そのため、まずやるべきことは、自分の研究テーマにとって最も重要となる論文が何かを助教や先輩に聞くことだ。

※実際には系が異なると微妙に条件や理論の相違が生じる可能性があるため、それによって仮説を多少変更させる必要があるかも検討する(わからなかったら飛ばしてもよい)。

 

測定の目的と手法を理解する

次に大切なことが、「どうやってこれを示すか?」ということである。

何かを示すにはデータが必要である。そのデータを得るためには測定が必要である。

したがって、測定について理解することは、示す現象そのものを理解するのと同じくらい重要だ。

測定については、

  • どんな原理で
  • 何を測っていて
  • 実際にはどんな風に実験するのか

ということを理解する必要がある。

原理の理解にはレビュー論文や参考となる書籍で勉強できる。これも助教や先輩に良いものを紹介してもらうとよい。

ここで強調しておきたいのは、

実験を理解するための近道は実際の実験現場を見ること(できれば実験させてもらうこと)である

ということだ。

人間は、生活のなかで使う知識はすぐに習得できる。脳は必要だと判断した知識は忘れないようにできている。

したがって、ただ論文や本を読むより、実験をさせてもらった方が手っ取り早い。

先輩の実験の再現実験、測定手法が似た実験、同じ装置を使う測定など、自分の研究テーマでなくとも、実験をする意義は大いにある。測定に関する理解が深まり、実際に自分で研究を進めるときのイメージが湧く。

実験をさせてもらえなくとも、テーマが近い人に頼んで実験を見せてもらおう。

 

先行研究を分析する

実験のイメージがついたら、自分の研究について改めて分析を行う。

ここでやるべきことは、同様の研究について複数の先行研究論文を比較することである。

調べるべき論文は、初めに読んだ「重要な論文」を引用している論文だ。NatureやScienceに新奇現象が報告されると、同じ現象を異なる系で測定した、という類似の論文が後追いで次々と出てくる。

これらの論文について、使用している系の共通点は何か、測定は同じようなやり方をしているか、結果に特徴はあるか、といったことについて調べる。

注意してほしいのは、ここで一言一句論文を丁寧に読む必要はないということだ。主要な科学誌の論文であれば、要約と結論、図を見ればある程度のことはわかるように書かれている。できればこのステップではあまり時間を使いたくない。

 

下準備(測定対象の条件出しや作製)

先行研究の分析が終わり、自分の研究テーマについて全貌がはっきり見えてきたら、いよいよ実験に取り掛かる。

その前にやらなければならないのが、実験の下準備だ。

例えば、電気抵抗を測る場合には電極と銅線、それに電源が必要だ。それ以前に測定対象の物質がなければ合成や作製を行わなければならない。

条件出しについては、初めのうちは要領がわからないと思うので、助教や先輩に相談しながら進めていく。

 

研究ロードマップのまとめ

これらのプロセスを経て、いよいよ自分の研究テーマで実験をスタートできる。

なお、以上で説明した内容はあくまで僕の経験に基づいた一例であって、必ずしも一般化できるとは限らない。

研究分野や研究環境によって臨機応変に内容を変えつつ、うまく参考にしてもらえれば と思う。

 

エッセンスだけ抜き出してみると、研究を進める上で重要なのは

  • 研究テーマの本質をつかむ(自分の研究を一言で説明する)
  • 仮説を立てる(やるべきことを絞る)
  • 実験しながら学ぶ(実際に使うことで知識が定着していく)

ということになる。

 

闇雲に実験するのではなく、ロードマップを書いてゴールまでの道筋を明確にしてから取り組む方が、はるかに速く目的地へたどり着く。

研究を始める前のひと手間で、そこから先の進捗速度が段違いに変わる。

 

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研究と競技を両立するための3つの鉄則

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学部を卒業するとき、「大学院へ進学しても競技を続けます」と宣言する人は少なからずいる。

しかし、実際にはその多くが卒業研究という「洗礼」を受けて疲弊し、大学院へ進学した後も結局忙しいことに変わりはないため、そのまま競技をやめてしまう。

確かに、院生の忙しさは学部生時代のそれとは明らかに異なる。競技を続けることは、院生になる前に思っていた以上に難しいものであることが多い。

だから、研究しながら自己ベストも更新し続けているのなら、それだけで立派な両立だと思う。東大・GMOの近藤選手九州大の古川選手のように、院生でありながら高いレベルで活躍している人はいるけれども。

 

僕は、「院でも競技を続けたい」という人には是非とも競技を続けてほしい。

そして、研究で忙しい中でも、「やっぱり陸上競技は楽しい!続けてきてよかった!」と思ってくれる人が一人でも増えてくれると、そんな嬉しいことはない。

 

そんな気持ちで、今回は、

  • 今は学部生だが、院でも陸上を続けたい人
  • 院生となったが、思うように競技に時間を割けない人
  • 競技を続けたいが、研究でもそれなりに成果を出したい人

に向けて、

研究を要領よく進めていく方法

について書いてみた。

僕の経験論が中心になるが、途中で動画や書籍などを引用して少しでもわかりやすくなるように心がけた。

一つでも役に立つことがあったら、ぜひ自分の研究生活に取り入れてほしい。

 

 

はじめに:記事を書いている人について

僕と面識がない人へ向けて、少しでも説得力を上げるために、僕自身の実績について書いておく。自慢みたいで嫌だけど。

研究(学部4年10月~)

専門:物性物理学

博士課程1年生、学振特別研究員(DC1)

学会発表 → 英語口頭講演3件(国内2件、国際1件)、日本語口頭講演1件(国内)

論文 → 筆頭著者1件、第三著者1件(いずれも査読付き英語論文、インパクトファクターは3前後)、現在執筆中3件(すべて査読付き英語論文、筆頭著者)

受賞 → 学会4件(講演賞3件、論文賞1件)

その他 → プレスリリース、新聞報道(Web、紙面)

競技(高1~)

学部ベスト 15'08", 31'21"(いずれもB4時)

M1ベスト 15'08", 31'19"(5000は0.5秒、10000は2秒更新)

M2ベスト 14'55", 31'13"(5000は12.5秒、10000は6秒更新)

 

研究単体、競技単体で見れば、僕より実績がある院生はわんさかいる(NatureやScienceの姉妹紙で筆頭著者論文を持っている同期、院生なのにプロランナーの後輩など)。

けれども、研究と競技の掛け算で競う種目があったら、結構いい線いっている自信がある(そんな種目ないけど)。

研究を要領よく進めるとはどういうことか

まず、前提を確認しておく。ここがずれてしまっていると、ここからの話もうまく伝わらなくなってしまうからだ。

ここで言う「研究を要領よく進めていく」とは、

陸上競技との両立を図るために、

競技に割く時間を確保した上で、

研究に使える限られた時間を最大限に活用し、

自分が望むレベルの成果を出す

というものである。

 

どれくらいの成果を望むか

研究において、各個人が望む「成果のレベル」は異なる。

修士号を取ることが目的なのであれば、修士論文審査に通るだけの成果があればいい(そして通常、よっぽどのことがなければ修士号は取れる)。修士卒で就職する人はこれに当たる。

学会発表や論文投稿をしたいのであれば、それに見合う成果が必要だ。博士へ進学する予定がある人は、学振特別研究員として採用されるのに足る成果があった方がいい。

NatureやScienceへ自分の論文を載せるのが目標であれば、尋常ならざるコミットと卓越した能力、研究室の大いなるバックアップが必要となる。そしてその場合、普通は競技など他の物事との両立は諦めるべきかもしれない。

したがって、ここでは、「修士号取得」もしくは「学振特別研究員採用」のいずれかを目指す人が、競技と両立しながらその目標を達成するためにどうすればいいか、という観点で話を進める。

(厳密には、論文や学会発表の成果があれば学振特別研究員に必ず採用されるわけではない。書類の巧拙に加え、周囲のレベル、時の運にも左右される。しかし、これらの成果が採用のためにプラスに作用するのは確実なので、ひとまずここを目標地点にしている) 

 

要領よく進めるのに必要なことは何か

上記のような目標を達成するために使える時間は限られている。

まして、競技と両立しようとするならなおさらだ。

競技で結果を出す(≒自己ベストを更新する)ためにはそれなりの時間とエネルギーが必要となる。練習時間の確保はもちろん、睡眠は削れないし、入浴やストレッチ、マッサージといったケアの時間もおろそかにはできない。

研究が忙しくなると、練習を減らすか、睡眠を削るかして競技の方の時間を削ってしまいがちである。これでは両立は心もとない。

両立のためには、競技に使う時間をあらかじめ決めておき、どんなに忙しくなってもその時間は削らない方がいい。その代わり、研究の生産性を上げることを考えよう。

 

研究での生産性を上げるとはどういうことか

ここで言う生産性の定義は以下の式で表される。

生産性 = (得られた成果)/(投入した時間)

そして、「生産性を上げる」とは、

  • 同じ時間で得られる成果を大きくする
  • 同じ成果を得るために必要な時間を減らす

の二通りがある。

基本的には、「修士号獲得」「学振特別研究員採用」のような成果は何が何でも手に入れたいものだと思う。得るべき成果をここより下げるわけにはいかない。

一方で、それより大きな成果を得ることがどれくらいの価値となるのかは、人によって異なる。論文を何本も出せたらそれはそれで嬉しいのかもしれないが、企業へ就職する(アカデミアに残らない)人にとってはそこまで重要な成果にはならないだろう。

したがって、ここでは成果を大きくすることを目的としない。以降、「生産性を上げる」とは、「成果を得るために投入する時間を少なく済ませる」と同義であるとしよう

生産性の概念に不慣れな人は、「自分の時間を取り戻そう―ゆとりも成功も手に入れられるたった一つの考え方」(ちきりん著、ダイヤモンド社を一読するといいと思う。

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研究での生産性を上げるための三つの鉄則

さて、いよいよ本題に入る。

僕が思う「研究を生産性を上げるために守るべき三つの鉄則」を紹介する。

それぞれの項目について、1記事ずつ作成してあるので、興味のあるものから読んでもらえると嬉しい。

【その1】自分の研究のロードマップを作る

研究を効率良く進めるにあたっては、「自分の研究の主導権を自分で握る」必要がある。

そしてそのために必要なのが、「自分の研究のロードマップを作る」というものだ。

 

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【その2】論文は必要に迫られてから読む

研究の中で大きな割合を占める「論文を読む」という時間。これをいかに最適化するかによって、研究に必要な時間をうまくコントロールできるようになる。

論文を「必要に迫られてから一気に読む」こと、そして「必要なところだけ読む」ことによって、そのような最適化が可能となる。

 

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【その3】タスクは可能な限り前倒しして終わらせる

院生には「極めて忙しい時期」が存在する。それは、学会の直前や、学位論文提出の直前などの「締め切りに追われる時期」である。

長期的視野を持ち、なるべく早く取り掛かるようにすれば、忙しさを分散できるようになる。「先延ばし症候群」から脱するためには、とにかく着手を早くすること、できれば締め切りより遥かに前の時期にどんどん終わらせることを習慣化することが肝要だ。

 

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「忙しい」という思考停止

前回

「周囲の評価は度外視して、自分の考えで学科を選べばいい、当然ホワイト学科の方が陸上をやる上ではいいけどね」

という話をした。

今回は、蛇足ではあるけれど、

忙しい学科を選んで両立を図ったにも関わらず、見事に失敗した経験談

を書いてみる。役に立つかはわからない。

 

忙しい学科へ行って最も避けるべきことは、「忙しいことを言い訳にする」ことである。

忙しい学科にいれば、結果が出なくても「忙しいから仕方ないよね」と周りが同情的になる。無意識のうちにその状況に安住してしまい、いつの間にか結果にコミットすることをやめてしまうのである。

そして次に避けるべきことは、「忙しい現実を受け入れず、取捨選択をしない」ということである。

忙しくなるとわかっているなら、それなりに対応策を考えるべきだ。

それなのに、全部やろうとしたから、全部中途半端になってしまった。

 

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僕は進路選択の上ではそこまで深く考えることなく純粋に興味のある学科を選択した。

その学科はどちらかと言えば「ブラック」側であり、進路選択をした当時の部内にはその学科に所属している先輩は一人もいなかった。

ただ、受験勉強で忙しかった高3時代にも実力を伸ばせた経験から、「まあ何とか両立できるでしょう」という甘い見通しでいた(その年の大学受験には失敗したので全然両立できていないのだけれど)。

専攻した学科での履修が本格化した3年次。初めて5000mの自己ベストを更新できない年となった(浪人時代を除くと、陸上を始めてから今に至るまで、5000のベスト更新ができなかった唯一のシーズンだった)。

2年次に患った疲労骨折の影響もあったが、一番大きな理由は「両立できていなかった」ことだと思う。

伸び悩んでいても周りは「忙しいんだね…」と同情的で、うっかり油断すると自分まで「忙しいから仕方ないか」と納得して努力を放棄しかねない状況だった。

だから、当時は「忙しさを言い訳にしてはいけない」と自分に言い聞かせていた。朝5時に起きて朝練して、満員電車に乗って1限から授業に休まず出席し、夕方の空きコマにジョグをして、授業が少ない日にアルバイトを入れた。土日は部活の練習や試合を除くと、大量のレポートをこなすので手一杯だった。

表面的には、部活のポイント練習もこなして間の日もちゃんと距離を走っているのにも関わらず、「なぜか記録が伸びていない」というような状態になっていた。

しかし、睡眠を削って練習時間を確保し、課題をこなし、様々なことを考えなければならない状況(当時は幹部決めが難航していた)において、自分の心は「実力を伸ばす」ということに向いていなかった。

練習をタスクのようにこなし、たいした工夫も分析もせず、「これだけやれば伸びるはずなのになんで伸びないの」と悲劇の主人公ぶっている時点で、まったくもって結果にコミットしていなかった。

外側だけ体裁を整えた、中身のないハリボテのような取り組みだったのだ。

 

このような状況に陥ったのは、自分が忙しかったからではない。捨てるべきものを捨てることができなかったからだ。

何かを得るためには何かを捨てなければならない。

自分が学生陸上をする目的は、自分の実力を伸ばすことで得られる喜び試合で勝つ喜びの二つに集約される。

大学へ行く目的は、自分の興味のある勉強をすること学位を取ることである。

しかしながら、以下のようなものを捨てられなかったことが、本来の目的を達成するための大きな障壁となってしまった。

 

「講義には出席しなければならない」という義務感

果たして自分は出席した講義の内容をすべて習得できただろうか。いや、ほとんど吸収できていない。

一生懸命先生の話を聞いてノートを取り、なるべくその場で理解しようとしていた。しかし、睡眠を削っているから睡魔は襲ってくるし、内容が難解だから聞いてすぐ理解できるようなものでもない。

ただ頑張っているつもりになっているだけで、本質的には何も得られていない。時間の浪費だ。

講義に出ることそのものが時間の浪費だとは言っていない。ただ、それなりの意志がなければ、講義へ出て時間と労力に見合うものを得るのは難しいということだ。

結局のところ、試験前になって必死に勉強し、ぎりぎりで単位を取るのが精一杯だった自分にとって、講義への出席は単なる義務感だった(ちなみに、自分の学科は出席を取る科目が少なかったから、なおさら出席する必然性はなかった)。

さらに、一年経って内容をほとんど忘れてしまったので、院試勉強をするために一から独学でやり直す羽目になった。

人間は必要に迫られなければ目の前の物事に真剣に向き合えない。自分では一生懸命頑張っているつもりでも、実は大して頑張れていないことも多い。それは気持ちの問題ではなく、人間の脳はそのようにできているのだ。

時間というコストを支払っているなら、それに見合うだけのリターンを得なければならない。そのような感覚が当時の僕には欠如していた。

単純に1限に出ないだけで睡眠時間の確保・満員電車からの解放という大きなリターンがある。しっかり睡眠をとって朝練ができるし、電車の中で勉強もできる。

部活の日は4限の後、荷物を背負って駅まで走って電車に乗り、電車の中で翌日の実験の予習をして、電車から降りてグラウンドまで走って向かい、着いた10分後にポイント練習スタート。こんな状況で質の高い練習ができるわけがない。

義務感さえ捨てればはるかに大きなものが得られる。なんでそんな簡単なことがわからなかったのだろう。

 

「周りと同じ科目を履修する」ことへの安心感

卒業に必要な単位数の半分くらいは必修科目で、興味のある物理関連の科目、学生実験、卒業論文が含まれていた。残りの半分は自分で好きに選べる選択科目で、「限定選択」と呼ばれる科目の中から一定数履修しなければならないのを除いて、比較的自由に履修を決めることができる。

僕が所属していたのは工学部で、工学部内であれば他の学科の授業は制限なく履修して単位とすることができた。また、他学部の授業も簡単な申請で一定数までは卒業単位に組み込める。

このような仕組みがあるにも関わらず、僕は周りの人と同じような科目を履修した。具体的には、選択科目のほとんどを「限定選択」の科目で埋めていた。

これらの科目は、物理のほかに情報や数学、回路などといったものが中心であった。こういったものに興味があるなら履修するのは意味があるけれど、僕はただ何となく「みんながそうする」ようにこれらの科目を履修した。

この選択が僕の首を絞めた。

正直、物理以外の科目にはそこまで興味がなかった。当然、学習には身が入らないし、それでいて授業に(義務感で)出席するから時間とエネルギーはどんどん奪われていった。

実は、他学部や他学科の授業のなかにも、物理を扱う科目はたくさんあり、実質的にはまったく同じ分野を扱っているものもあった。

同じ内容なら、1科目分の勉強で2、3倍の単位を取得できることになる。しかも、一つの科目について、複数の先生による異なる流儀の講義を受けることで、その学問を多角的に見る視野も養われる。

あるいは、物理にまったく関係がなくても興味がある授業を履修してもよかっただろう。前期教養課程では、必修科目が理系であることを鑑み、選択科目では心理学や教育学、スポーツ学など、幅広く履修していた。

しかし、「専門課程では専門を突き詰めるべき」「選択科目で情報や数学を勉強することで物理との相乗効果が生まれる」などという不可解な説明を真に受け、周りの人と同じような履修をした。

思考が停止していた。

その結果、「みんなと同じ科目を取っていれば大丈夫」というかりそめの安心感を得るために、もっと合理的な選択をしようという考えが浮かばなかった。

 

「一か月○○km走らなければならない」「毎日走らなければならない」という義務感

これに関しては3年次に限らないけれど、常に走行距離に関する義務感があった。

走行距離を伸ばすことで実力も伸びているならいいのだけれど、3年次は睡眠を削ってまで距離に固執していたので本末転倒だった。

大学生は忙しい時期とそうでない時期の差が大きい。

忙しさに関係なく同じくらい練習しようとするのは思考停止状態で、忙しいなら「いまは忙しい時期だから、練習時間が少ない中でなるべく実力が伸びるよう工夫しよう」とか、長期休暇中は「時間がとれるから量を増やして、その分睡眠やケアの時間をいつも以上に取ろう」というような柔軟な発想をなぜ持てなかったのだろう。

 また、これは学部3年次に限った話ではないけれど、そもそも論として「速くなるためにはいっぱい走ってポイ練も一生懸命走る以外に道はない」という思い込みが、成長の妨げとなってきたことも事実である。

身体のことを一生懸命研究してきたのは、それを生かすことで要領よく走力を伸ばしていくためではなかったのか(この失敗のおかげで院生になってから成長できているとも言えるけれど)。

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「どんな練習をするべきか」という話題は、(陸上に限らず)「強くなりたい」と思うすべての競技者にとって、大きな関心事であり続ける。

そして、あらゆる指導者や科学者が、そのためのソリューションを模索したり、先週に提供しようと取り組む。

情報化が進んだ現代では、これらの方法論はほとんどの人がアクセスできるようになっており、(競技レベルにもよるが)参考になる部分は多い。

しかし、それらの情報を生かす上で忘れてはならないことがある。

それは、トップアスリートのために作られた練習プログラムは、自分の持っている時間と労力のほとんどを陸上に費やせることが前提になっているということだ。

長距離で言えば、プロランナーや、(失礼を承知で言うが)実業団選手や強豪校の推薦入学者などがそれにあたる。

一方で、僕らは学業と競技を両方やろうとしているのだから、そのような前提には必ずしもあてはまらない。

 

日本では「大学は暇で、卒業は楽」だとよく言われる。「両立」と言うほどのことではない、と言われるかもしれない。

しかし(欧米の大学へ行ったことへないので実際に比べることはできないが)、少なくとも僕にとって卒業は楽ではなかった。

確かに、受験が「受かるかわからない」のに比べて、卒業は「しっかり勉強すれば単位は取れる」という点で、失敗するかもしれないというプレッシャーは少ない。

けれど、その「単位を取るための勉強」は、試験前日にちょっと勉強する、程度のものではなかった。

このように、陸上へ100%の時間と労力を割けない中では、陸上に使える限られた時間で、自分の実力を伸ばすために最適なやり方を模索すべきである。

中には、学業に取り組みつつプロ顔負けの練習をしている人もいるが、こうした人は例外的存在だ。

 

忙しいと、つい思考停止してしまう。

忙しいなら、

  • その忙しさを緩和するために工夫できることはないか
  • 限られた時間の中で、最も実力を伸ばせるやり方は何か

ということについてよく考えてみるべきだ。

 

 

 

忙しいから偉い?

後輩とzoomで話をする機会があった。

いろいろと話をする中で、進学先についての相談を受けた。

いくつか行きたい学科の候補があり、その中にいわゆる「緩い」学科(以下、ホワイト学科*)も含まれていた。

後輩は、その学科の分野には興味があるものの、実際に進学するとなると周りから「楽をしている」と思われるのが嫌、というようなことを述べていた。

陸上部には忙しい学科へ進学している人が数多くいる。そんな中で、ホワイト学科へ所属することは「忙しくないことへの後ろめたさ」があるのかもしれない(純粋に興味がある学科を選択している人が多い結果とはいえ、陸上部は運動会の中では異質な集団だ)。

進路という選択において、部内の他者からの評価を気にしている状況だ。

この気持ちはよくわかる。僕自身、他人の評価を気にして生きてきたからだ。

だからこそ、後輩には「他人からの評価を気にして選択すると後悔する」というアドバイスをした。

 

*ホワイト学科

課題の量が多くない、課題や試験で要求されるレベルが高くないなどの理由で、単位を取得して卒業するのが比較的平易である学科のこと。

こうした学科には運動部の学生が多く進学する傾向にある。

そこで教えられている内容は決して簡単ではないが、勉強を最低限で切り抜けようという人が一定数いれば試験の難易度は下がり、したがって単位認定も易しくなる傾向にある。

 

承認欲求を捨てる」という考え方は、「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀史健)で紹介されたものだ。

www.diamond.co.jp

(一般論として、周りの評価を気にして生きることがどのように良くないのか、という話はここには書かない。「嫌われる勇気」は満足のいく人生を構築するために必読の一冊なので、まだ読んでいない人は是非読んで学んでみてほしい)

 

日本には、「忙しいことが美徳」であるかのような不可解な風潮がある。

今はどうか知らないけれど、自分が学部生のときの部内にも何となくそんな風潮があった(恥ずかしいことに、自分もそれに加担している側の人間だったと思う)。

競技者として、その人の評価は究極的にはその人の実力(=自己ベスト、大会での実績)で決まる。その人が忙しいかどうかは関係ない。

しかし、その人がいわゆるブラック学科に所属しているのに、周りよりも圧倒的な速度で記録を伸ばしていると、周りからの評価は「あんなに忙しそうにしているのに結果も出していてすごい」となる。忙しさがその人の評価を実力以上に高くするのである。

一方で、結果が出ていなくても、「忙しいから仕方ないよね」というように、周りからの評価が下がることはない。

逆の場合、つまりホワイト学科だったらどうか。

結果が出ていれば「時間があっていいなあ」、出ていなければ「なんで忙しくないのに結果が出ないのか(≒ちゃんと練習してるの?)」というように評価される。

つまり、周囲からの評価という観点からすると、結果を出していてもいなくても「忙しい方が得」ということになってしまう。

本来、競技者としての評価には関係ない「学科の忙しさ」によって、あたかもその人の競技者の能力が高いように見えてしまう。

学科の忙しさに応じて、試合でボーナスポイントが与えられるわけではないのに。 

 

陸上のことを第一に考えるなら、ホワイト学科へ行く方がいい。

陸上のために費やせる時間は多い方がいいに決まっている。

睡眠をしっかりとればパフォーマンスは上がる。

アルバイトで得たお金でジョグシューズをこまめに新調したり、食費に充てて十分に栄養を摂ったりすることで故障は減る。

もしホワイト学科へ行って、結果が出なかったらどうしようなんて考えるのはやめよう。

ブラック学科へ行けば結果が出なくても言い訳できると考えるのはやめよう。本来、忙しい人は忙しいなりのやり方を取るべきであって、忙しさは何の言い訳にもならない(だって、忙しいとわかっていてその学科を選んだのだから)。

言い訳を準備するのはやめよう。結果を出すための障壁にしかならない。

 

もちろん、陸上だけが大学生活ではない。

ホワイトであれブラックであれ、自分の行きたいところを選ぶべきだ。

そのときに、「周りの評価」という観点によって曇った選択をしないでほしい、という話。

 

 

僕自身はブラック学科を選択した人間だ。

(学科長は最初の説明会で「グレー」だと強調していた)

だから、「ホワイト学科へ行くべき」というのも説得力はない。 

当時は勉強したい分野で学科を決めたとは言え、周囲からの評価を全く気にしなかったと言えば嘘になる。

(高3時代は秋まで部活を続けながら成績も上の方にいたので「すごい!」と周りから言われていて気持ち良かったという経験がある。「ブラック学科でも結果を出してたらかっこいい」という気持ちは少なからずあったと思う)

 

せっかくなので、ブラック学科へ行ってうまく立ち回れずに記録が停滞した失敗談についても書いてみようと思う。次回。

 

「本番力」の鍛え方

「本番に強い」という言葉がある。

練習で今一つ奮わなくとも、ここぞというところではしっかり結果を出せるということだ。

本番に強い人がいればその逆の人も存在する。人一倍ハードな練習を高い水準でこなしていても、期待されていたほどの結果を出すことができない人だ。

学部生時代、まさにこの問題に悩まされていた同期の選手がいた。チームで一番速いグループでポイント練習をこなし、自主練の日も甘えずに距離を踏んでいて力があるのは確かだったのに、対校戦や予選会では思い通りの結果を残せず苦しんでいた。

どちらかと言えば本番に強い側だった自分は、同期として、また一時期はチーフとして、どのようにしてこの問題が解消できるか一生懸命考えた。

しかし、答えが見つからないまま、不本意な結果のまま彼は引退を迎えることになった。

引退に際して彼が残した文章に「(苦しい)努力は熱中に勝てない」という文言があった。彼にとって、陸上競技は結果のために苦しい努力を一生懸命積み重ねなければならないものだが、そういうマインドでは、陸上競技に心から熱中している人に勝てない、ということだ。

この言葉には一縷の真実がある。

「努力しなければ結果は出ない」という考えでいると、試合になると「結果を出したい」という気持ちよりも「結果を出さなければならない」というプレッシャーが重くのしかかってしまう。 

一方、熱中している人にとって、試合は最高にワクワクする場であり、不安もプレッシャーも力に変えて自分の力を最大限に引き出せる。その結果、うまくいけばまた頑張ろうと思えるし、うまくいかなければ改善すべき問題をいろいろ分析してみようと考える。

 

両者とも、結果を出すために努力を惜しまないことは共通している。では、上記のような違いは何によって生まれているのか。

それは、「成功体験に裏打ちされた根拠のない自信を持っているか」ということだ。

それまでの人生で多くの成功体験があると、根拠はなくても「次もうまくいくだろう」と考えることができる。うまくいかないことがあっても、「こういうときもあるさ、でも改善すれば次はうまくいくだろう」と思える。

その結果、適宜やり方はアップグレードされながらも力は着実に伸びていくし、本番では根拠のない自信によって余計な心配に惑わされずに力を100%発揮できる。それによって、次にまた頑張るための活力が得られる。

このようなポジティブループに入ることができれば、本番にもどんどん強くなれる。

しかし、人生の中でどの程度成功体験があったかどうか、ということは、育った環境や周囲にいる人に影響されやすい。例えば、子どもが何かに挑戦しようとしたとき、親が「どうせ無理だよ」と言ってそれを却下する環境では、いつまで経っても成功体験は積み上がらない。

大事なのは「成功率」より「成功した数」であって、トライそのものが少なくては根拠のない自信も育ちようがない。

 

そのように成功体験を積み重ねずに大人になった人がポジティブループに入るためには、一度でもいいから成功体験をする必要があるが、それが簡単にできれば苦労はしない、と言いたい人もいるかもしれない。

そのような人が本番力を鍛えるにはどうすればいいか考えてみる。

本番への強さには「没頭力」が大きく関与している。目の前の物事に入り込む能力のことだ。

このような状態は心理学では「フロー」と呼ばれ、スポーツの現場ではしばしば「ゾーン」と呼ばれる。

ja.wikipedia.org

フローとまではいかなくとも、本番に自分の力を最大限に発揮するには高い集中力を要する。

しかし、今日では、このような高い集中状態に入ることはますます多くの人にとって困難になっている。

それは何故か。

スマートフォンSNSの発達によって、集中がそらされやすい環境が出来上がっているからだ。

勉強するときに他のことが気になって集中できないというのはよくある話だ。一昔前であれば、テスト前なのについつい漫画やゲームに手が伸びてしまう、というものだ。

現代ではスマートフォンSNSがそうしたものの「進化形」として存在している。漫画やゲームと比較して進化しているのは

  • 常に新しい情報が入ること
  • 通知を送ること

である。

通知が来ると人間の脳は快感を覚える。何故なら、「新しく来た情報は何だろう」という期待が生じるからだ。

加えて、過度なコミュニケーションも麻薬的である。SNSでの「いいね」中毒はかなり浸透している。常にコミュニケーション環境にさらされていると、一人で何かに集中するということはますます難しくなってしまう。

刺激が非常に多い現代社会で生き、これに適応してしまうと、刺激が少なくなったとき脳が退屈になって注意を他の物事へ向けてしまう。運転中についついスマホへ手が伸びたり、走っている最中に無関係な雑念に気を取られてしまって体の動きや感覚に注意がいかなくなったりするのはその典型である。

このように、注意散漫な状態が常習化すると、高い集中状態を実現するのは事実上不可能になってしまう。

 

では、このような状態を脱するにはどうすればよいだろうか。

集中力(注意力)のトレーニングとして、最近僕は瞑想に着目している。

瞑想といっても、座禅を組むわけではなく、ただ目を閉じて自分の呼吸に注意を向ける、という簡単なものだ。

瞑想の効果は近年になって科学的に証明されつつある。一般に言われるものは

  • 集中力(注意力)の向上
  • 精神の安定
  • メタ認知力(自分を客観視する力)の向上

などが言われている。いいことづくめだ。

メンタリストDaiGoはしばしばこの話題について解説している。以下の動画では、アスリートを対象にした研究について説明されている。

www.youtube.com

グーグルにおける研修プログラムを紹介している「サーチインサイドユアセルフ」(チャディー・メン・タン)においても、瞑想の効果が説明されている。

 

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http://www.eijipress.co.jp/book/book.php?epcode=2227

www.youtube.com

やり方についてはいろいろ考えられるが、とにかく重要なのは毎日継続することだ。短くてもいいから、長期的に続けられるやり方でやるのがいい。

半分自戒も込めてこのような記事を書いている。というのは、高校時代、試合での集中状態を高めるために以下の本を読み、実際に「ドアノブ集中法」(名前は合っていないかもしれない)に取り組んだことがあるからだ。

www.sunmark.co.jp

実際には次のように取り組んだ。

1.  部屋のドアの前へ椅子を置いて座り、近くに時計を置く。

2.  意識をドアノブへ全集中させ、他のことは考えない。

3.  5分経ったと思ったところで時計を見る。

4.  実際にかかった時間と、頭の中に現れた雑念をノートに記録する。

全部で10分かからないくらいである。これを毎朝起きた直後に取り組んだ。3か月くらい続けたが、引退試合の駅伝が終わったころにやめてしまった。

駅伝では自分の力をフルに引き出して走ることができた。それだけでなく、日常生活においても集中力が上がり、夏は受験勉強の質も高く模試にも結果が現れていた(そのあとはやめてしまったこともあってか勉強もはかどらなくなってしまった)。

今になって、どうして続けなかったのだろう、と後悔している。

このように多くの人が瞑想の効果に言及しているのを知って、今週から瞑想を始めてみた。

続けるには習慣化するのが有効だ。朝食後、歯を磨くまでの15分間を「ゼロ秒思考」のメモ書き(10分)*と、5分間の瞑想に充てることとした。

ここまで1週間続けてきた。まだ大きな効果は実感できていないものの、これを数か月、数年、と続けていければメガ進化できるだろう。

朝ジョグはかれこれ2年以上続けられているので、習慣化さえできれば続けられる自信がある。

 

興味がある方は是非。

 

*「ゼロ秒思考」(赤羽雄二)

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https://www.diamond.co.jp/book/9784478020999.html

 

行動しよう。

実業家の植松努さんによる、「思うは招く」という名スピーチがある。

植松さんは事業の傍ら、子供の頃からの夢であったロケット開発に専心されている方だ。

www.youtube.com

「思うは招く」というのは、決して「思っているだけで叶う」という意味ではない。

植松さんは、一度は忘れてしまっていた子どもの頃の夢をかなえるため、社会人としてそれまでやってきたこととは全く異なる方向へと歩を進めた。

行動が伴って初めて、何かが叶うかもしれないのだ。

 

ところで、この動画に対する両親の反応は、

「植松さんの言っていることは『引き寄せの法則』と同じだね」

というものであった。

引き寄せの法則」というのは、「物事は思った通りに展開される」という、いわゆるスピリチュアル界隈では有名な考え方である。

正直、この反応に対して不快感を覚えてしまった。

 

次に、なぜ不快に思ったのかを考えてみた。

一定数の人を引き付けている「スピリチュアル」というものが、僕にとっては「宗教」にしか見えないということが大きな理由だと思った。

特に、物理を学び、研究している者としては、そうした人たちが物理に現れる「量子」や「波動」といった概念を都合よく切り貼りし、支離滅裂な展開で無知な人を丸め込もうとする姿勢が不愉快なんだと思う。

彼らはそれが正しいと思って一生懸命発信して、聞いている人達も正しいと思って一生懸命聞いているのだから、そうしたあり方は別に否定はしない。

ただ、これは間違いなく「宗教」だと思う。

 

では、どうして「宗教」にしか見えないものと、植松さんの話とを一緒くたにされることに不快感を覚えたのだろうか。

それは、「宗教」には、具体的な行動が欠如しているからだと思った。

神に祈って戦争がなくなるなら苦労しない。

マインドセットが変わるだけでは現実は変わらない。

行動が変わって初めて、現実が好転するのだ。

ブッダもキリストも、多くの弟子たちに教えを説いたかもしれない。その教えが、のちに宗教として形づくられたのかもしれない。

ただ、決して忘れてはならないのは、彼らは哲学者であり、徹底的な「行動主義者」なのである。

彼らは彼ら自身の問題について、彼らの頭で考えて実際に行動してきた。彼らの話は、自身の問題に向き合う中で彼らが考えたことの結晶である。

だから、彼らの話をただなぞっているだけでは何も変わらない。これが「宗教」だと思う。

自分の人生で生じている問題に適用し、彼らの経験をうまく役に立てつつ、最終的には自分の行動を変えていく。そのような向き合い方の方が、はるかに有用であると思う。

www.diamond.co.jp

 

僕は競技者として、(記録の面では)大学の4年間でそれなりに成長した方だと思う。もっと急成長した人はいくらでもいるけれど、うまくいかなくて高校時代の記録を超えられないという人もたくさんいた。

成長できたのは運や環境のおかげでもあるけれど、自分の頭で考え、試行錯誤しながら行動し続けてきたことが一番の要因だと思う。

一方で、僕はリーダーとしてはほとんどうまくいかなかったと思っている。

チーフとして、個々の部員の能力を高めるためのアプローチがうまくいかなかった。

僕は、一人ひとりの意識を引き上げることが大事だと考えていた。定期的に個人面談をしていろいろと話をしてみたり、集合でみんなの心を動かせるような話をするようあれこれ工夫していた(おかげで、一部の後輩から入信したいと言われた)。

これによって意識が変わり、部員の行動が自発的に変われば、自然と結果もついてくると思った。

でも、このアプローチはうまくいかなかった。人の価値観や考え方は長い時間かけて、周りの人の影響を受けながら形成されていくものだから、ちょっとやそっと外から働きかけた程度では変わるものではない。

 

むしろ、行動が変わるためのアプローチを行うべきだったのかもしれない。

そもそも、「やろうという意識はあるけど行動につながらない」という人は少なからずいただろうし、意識が大きく変わらずとも行動が変われば結果がついてくる可能性は上がる。行動が習慣化することでむしろ意識が変わるということもあるだろう。そのような発想にたどり着くだけの想像力が足りなかった。

では、行動を変えるにはどうするのがいいだろうか。

手っ取り早いのは「システムをつくる」ことだ。

具体的に言えば、ルールをつくることや、環境を整えるということだ。

例えば、毎朝走るということをしようと決めた場合。

一緒に練習する人がいれば、時間を決めて集合する。

いなければ、仲間に「これから走ります」と連絡し、終わったら「走りました」と一報を入れる。

もし守れなければ何らかのペナルティを課す。

これは実業家・Youtuberのマコなり社長のやり方を引用してきたもので、「自分との約束は破りやすいが、人との約束を破るのは抵抗がある」という人間心理をうまく利用したものである。

ほかにも、勉強に集中するために、スマホの電源を切り、自習室やカフェなど雑念の少ない場所へ行く、というようなやり方もあるだろう。これは環境を整えることで行動を変える一例だ。

www.youtube.com

 

現実を変えたければ、行動しよう。

なかなか行動できないという人は、行動するための仕組みを作ってみよう。

 

 

僕たちが今やるべきこと(後編)

前回の続き。

 

ここでする話は、人によっては「そんなの当たり前でしょ」と感じるものかもしれない。

膨大に有り余る時間、やれることはたくさんある。ダラダラとスマホをいじっているのはもったいない。今だからこそ、積極的に自己投資しよう。

 

自己投資① 読書

(20代の間は特に)重要とされる自己投資は読書であると言われる。

本屋へ行かずともAmazonでいくらでも本が買える。スマホやPCでも本が読める時代だ。今こそ本を読もう。

何を読めばいいかわからないという人は、Youtubeで本の要約動画を見て、全部読んでみたいと思ったものについて買ってみる、というやり方を勧める。紹介サイトのリンクを拾ったみたので参考にしてほしい。

lasdream03.com

 

自己投資② 技能習得

新しく技能を身につけるのも有意義だ。

後輩のブログで見たのは料理オンライン英会話で、どちらも後々の人生で役に立つ場面が出てくると思うので、優れた自己投資だと思う。

僕は最近、ブラインドタイピングを習得するための練習をしてきた。習得しようと思ったきっかけは論文執筆である。

今は大学へ入れないので実験をすることができない。幸い、(まだ論文化していない)修士時代の成果が複数あるので、これらを学術誌へ投稿するための論文にまとめている。

論文の分量は1本あたり3000語程度で(Nature関連誌などはもっと分量が多い)、全部で3本書くので、結構な量の英文を書かなければならない。

考えながら書くのですらすら書けるようなものでもないが、タイピングに時間がかかれば当然その分だけ生産性が低くなる。

1本書き終わった段階で、「いっそのことブラインドタイピングを身につけた方がよいのでは」と感じ、練習を始めた次第である。

始めて3日くらいでキーボードを見ることなく文章を書けるようになった。それからも練習を続けて、3週間弱で40~50wpmくらいでタイピングできるようになってきている。一日の平均練習時間は45分くらいである。

大事なのは毎日少しずつコツコツ取り組むことだと思う。指の動きを脳が学習するには睡眠が必要だ。指も筋肉なので、短期間で一気にやろうとすると良くない。

練習にはTyping Clubを活用している。無料でほとんどのセッションが公開されており、非常に優良な教育サービスだ。

www.typingclub.com

海外のサイトなので、キーボードが英語配列であり、日本語配列のものを使っている場合は記号の位置が異なるので注意が必要だ。ただ、英文を書く上で頻繁に用いられる記号は限られているので、記号の練習はそこまで必死にやる必要も感じていない。

日本語のタイピングを練習するうえでは「寿司打」などが有名だ。一通りTyping Clubが終わったら、こちらも始めようと思う。

typing.sakura.ne.jp

それから、論文執筆が終わってなお時間が残っている場合には、プログラミングも習得したいと考えている。

プログラミングは手に職をつける上で最強のスキルだと思う。日々、急速にテクノロジー化が進むなかで、世界の変化の速さに比較的後れを取っている日本では、プログラマーの絶対数が足りていないからだ。

最近では大企業のメーカーやIT系のベンチャー企業が、プログラミング経験や専攻に関係なく理系の(偏差値が高い)大学から優秀そうな学生を採用して社内で教育し、そのままプログラマーとして抱え込む、という動きがあるくらいだ。

新型コロナウイルスの影響が長期化すれば、あらゆる物事についてオンライン化が一気に進む可能性がある。テクノロジーについていけない企業はあっという間に振り落とされるかもしれない。

プログラミングについては素人なので、ここに書くことには不正確な情報も含まれると思う。それなりに知識や経験がある人に聞いてほしい。

何を目的にするかでどの言語を習得すればいいかは変わってくる。詳しいことは「プログラミング入門講座」(米田昌悟)を参考にしてほしい。初心者がまず教養として読むのに向いている本。

www.sbcr.jp

上記の本の中でも初心者向けの教育サイトの案内があるが、本に出てこないもので有名な学習サービスはProgateドットインストールなどがある。

prog-8.com

ドットインストール

https://dotinstall.com/

 

プログラミングを学ぶ際、重要なのは「わからないことをすぐに聞ける人が周りにいるか」ということであるらしい。エラーが出てその原因がわからない場合、いつまでも考えるより人に聞いた方が手っ取り早いそうだ。

それから、学ぶ上では何かしら目的がないと長続きしない気がするので、何か成果物をつくる(HP, ゲーム, アプリなど)といいのかもしれない。僕は実験や解析の効率化のためのプログラムを書けるようになるための勉強をするつもりだ。

蛇足だが、数学の能力よりも英語の能力の方が、プログラミングの能力と強い相関を持つそうだ。プログラミング「言語」というだけあって、習得プロセスは外国語のそれとある程度共通している。文系だからできない、ということはないはず。

 

自己投資③ 好きなことを思い切りやる

好きなことを突き詰めることも立派な自己投資だ。何かに夢中になって取り組む経験は多くの学びを与えてくれる。

上達のために創意工夫した経験は、仕事を効率よく切り盛りするうえで役に立つ。

エンターテインメントにどっぷり漬かることで、新たなサービスやコンテンツを生み出すためのアイデアが生まれる。

物事に熱中する力は、困難に思える問題に粘り強く対処するための原動力となる。

好きなことについて生き生きと語ることができる人は、周囲から魅力的で信頼のある人物に見える。

…とここまでは、特に引用も証拠もない私的見解である。

しかし、こうした「役に立つかどうか」という観点を差し引いても、やりたいことがない人生は退屈で、やりたいことがある人生は充実感がある。

このことは、これからの時代においてより一層重要になる。

ここからは、「このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む転職の思考法」(北野唯我)210~212ページの内容から抜粋、改変した内容である。

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目覚ましいテクノロジーの発展によって、定型的業務(事務職など)はAIへ代替されていき、生活に必要なコストはどんどん減少していく。もしかしたら、贅沢しなければ働かなくても生きていける、という時代が来るかもしれない。

そうなると、人々の仕事への姿勢は次の三つに分かれる。

①好きな仕事をする

②仕事は最低限にして趣味に打ち込む

③(贅沢をしたい、他者に認められたいなどの理由で)嫌々今の仕事を続ける

今は大半の人が、③の働き方を選んでいるが、近い将来、これらの人々が①や②へ大移動する。

しかし、もともと「好きなこと」がない人が好きなことを見つけるのは至難の業だ。

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www.diamond.co.jp

①や②のような考え方は、若い世代を中心に広がりつつある。

かつて日本には「人生の正解」があった。いい大学へ行く、一流企業へ就職する、20~30代で結婚して家庭を築く、ローンを組んでマイホームを建てる(あるいはマンションの一室を買う)、子どもをいい大学へ入れる、老後は年金で不自由なく過ごす、というようなものだ。

しかし、このような価値観も少しずつ変わり始めている。というよりも、価値観が多様化しており、上記のような(いわば高度経済成長期の名残とも言える)価値観は、あくまで「一つの価値観」に過ぎなくなったのだ。

そして、その価値観の多様化こそ、テクノロジーによって引き起こされたものである。

情報化は様々な価値観を生み、技術は多様なライフスタイルを可能にした。

日本の婚姻率の低下は若年層の経済的問題によるものとされることも多いが、「結婚はするのが当たり前」という価値観が若年層のなかで一般的ではなくなり始めていることも関連しているのではないか、と考えている。

 

話が脱線してしまったが、最後に前後編の内容を簡単にまとめると、今やるべきことは

正しく恐れ、適量の情報を取捨選択しながら自分の頭で考えて行動する

読書、技能習得、趣味への没頭などの自己投資

の二つ。もし役に立つ内容が少しでもあったら嬉しい。

 

追伸

部活がなくてモチベーションが上がらないという場合は無理をせず、しんどくならない範囲でジョグだけでも続けてみよう。ジョグさえしていれば体力はそこまで落ちません。